写真182 秋の田園風景
また、弘前市は昭和三十一年(一九五六)八月、周辺関係町村と一体となって「岩木山ろく開発期成同盟」を結成した。岩木山ろく地帯は広大な原野を有しているが、粗放略奪的利用のままに放置されていた。これらの高度利用を図るために昭和三十二年、農業未開発基杢調査の指定を受け、同三十三年から、特定農地開発事業として再指定された。国営岩木山ろく開拓パイロット事業は、弘前市、岩木町、鰺ヶ沢町、鶴田町、森田村の一市四ヵ町村に及ぶ、可耕地二五〇〇ヘクタールの農地開発を目指すものであった(図10)。その後、同三十七年三月、南ろく地区基本計画が承認され、最初に同地区の事業が着手された。同四十年までに南ろく、東北ろく地区約一四五〇ヘクタールの農地造成が完了した。造成地には、二集団の新規入植のほかに既入植者の増反、その他農家の増反地として活用し、酪農、畜産の振興を図ろうとした(青森県農地開拓課『青森県の開拓事業(戦後開拓20年の実績総集編)』一九六六年度)。
図10 岩木山ろく地区開拓パイロット事業一般図
さらに、昭和三十三年(一九五八)十二月、岩木川の河川改修を中心に、「津軽地方灌漑(かんがい)排水改良事業」が企画され、穀倉地帯津軽平野の振興が目指され、この時期、食糧増産を目指す関係者の熱心な取り組みが展開された。