弘前学院大学の開学

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昭和四十二年六月、学校法人弘前学院に学院総合五ヶ年計画企画委員会が、短大、中学、高校におけるそれぞれの五ヶ年計画を総合審議するものとして発足し、その際、四年制大学設置計画が論議の中心となり、そのための諸会議が頻繁に招集された。しかし、同学院中学校、高等学校教員会は、四年制大学設置に反対の意向を表明、中学校、高等学校教育の充実を優先させるよう要望した。翌四十三年六月、中高教員会は中学校、高等学校に支障を及ぼさないことを条件に、四年制大学設置に賛成、六月六日弘前学院大学設立準備事務局を開設した。同年十一月四年制大学設立のため、弘前学院後援会が組織された。
 昭和四十五年九月三十日、短期大学英文科、国文科を母体として、四年制大学文学部英米文学科、日本文学科の設置の認可を申請、四十六年一月二十七日設立が文部省によって認可された。同時に短期大学英文科と国文科の学生募集は停止された。
 昭和四十六年(一九七一)四月一日弘前学院大学が発足、初代学長に赤城泰が就任した。同年四月十五日に入学式を挙行、第一回入学者は英米文学科三九人、日本文学科二一人であった。五月十五日弘前市民会館において、開学式を盛大に挙行した。
 同大学の目的は「福音主義キリスト教による人格の完成を目ざし、教育基本法および学校教育法に基づき学術の中心として広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的および応用的能力を展開させ、もって世界平和と人類の文化に寄与する」ことと定められている。入学定員は英米文学科五〇人、日本文学科五〇人である。また、同大学で取得できる教員免許状は、英米文学科は中学校教諭一級普通免許状、高等学校教諭二級普通免許状で、教科はともに英語であり、日本文学科も同様で、教科は国語である。また、昭和五十年六月、大学の学則を変更し、この年の入学生から、司書教諭、学芸員、社会教育主事任用資格の取得が可能となった。
 昭和六十三年に、短期大学の家政科が生活福祉科と改称され、さらにこれが平成十一年には発展的に社会福祉学部社会福祉学科へと改組転換され、既存の文学部とともに男女共学となった。
 平成十四年には、文学部英米文学科および日本文学科をそれぞれ英語・英米文学科および日本語・日本文学科に改称した。平成十五年には大学院社会福祉学研究科が設置された。

写真208 弘前学院大学(稔町・昭和50年ごろ)