市立図書館には『観桜会に関する綴』という行政文書も保存されている。それには昭和二十四年(一九四九)の観桜会公園使用料金が記されている。占領行政が終了する前後の観桜会に関する具体的な運営実態がうかがえるので概要を紹介しよう。
公園内で仮営業を目的とする料理店、飲食店、写真屋、菓子店、喫茶店、酒店など、いわゆる屋台は一坪日額で二五円だった。演劇・興業は一坪一五円、植木屋や生魚売などの露店業は一坪三〇円、行商は一人日額四〇円である。ちなみに水道使用料金は植木屋が二〇〇円のほかは通常四五〇円だった。注目されるのは市外居住者の使用料が五割増だったことであろう。市外からの悪質業者締め出しの一環を兼ねていたのかもしれない。もちろん市外からやってくる業者には健全な営業をしている人々も多かったため、彼らは市内関係者からの締めつけに苦しんだという。
土地使用手続についての記述もあるので、概要を述べておこう。まず願書は弘前市役所監理課で受け付け、使用料金は前納とされた。清掃料として土地使用料金の半額を前納するとある。こうした経緯を見ると、露店業の運営には相応の金額負担が必要だった。それゆえ当局に陳情する露店業者もあったが、この政策は悪質な露店業者を締め出すのに一定の結果を発揮したといえよう。
観桜会にはどれくらいの人々が来たのだろうか。市立図書館所蔵の昭和二十五年度観桜会の観光客調書を見てみよう。そのなかに四月二十八日から五月七日までの一〇日間にわたる観桜会へ来た観光客の集計表が含まれている。それによると概算だが五〇万人とある。このうち弘前駅下車客は二十万人弱、市内や近郊からの観光客が三〇万人強だった。もっとも観光客が多かったのが五月三日の祝日で、約一〇万人が観桜会に訪れている。市内や近郊からの観光客だけでは、四月三十日の日曜日が六万五〇〇〇人弱で最多数だった。反対にもっとも観光客が少なかったのは、市の内外ともに五月六日の土曜日で、約二万人だった。現在でもそうだが、平日と休日・祝日の相違は大きく、天候のよしあしによっても動員数は大きく異なる。なお、団体客は三六団体、合計一万人弱の人数が集まっている。県内が半分、県外では北海道、岩手の両道県各地からの団体が多く、進駐軍も二度訪れている。県内では八戸からの団体客が四度も訪れているのが目立つ。
観光客の動員数を見てもわかるように、祝日の有無と天候の問題は観桜会の運営に大きな影響を及ぼした。とくに天候は公園の内外で経営する露店業界や商工業界の経営を左右した。しかも自然界の生物である桜自体も天候に左右されることが多く、桜の開花状況は諸業界を一喜一憂させた。そのため観桜会期間中に桜が咲くか咲かないかで観光客の出足は相当に異なった。当然天候問題は出店業者の経営にも大きく影響を与えた。昭和二十六年度はまさにそのような問題が起こり、観桜会の延期願いも出ていた。
昭和二十六年の観桜会は、四月二十七日から五月六日まで一〇日間開催された。だが二十七日から二十九日の三日間は天候不良で桜も咲かず、外来客も少なかった。公園内出店業者の商売もまったく不況であり損失も大きかった。五月三日になり天候が回復して桜も開花し、観光客も相当数来園した。そのため五月五日、弘前観桜会公園出店三名と弘前商工会会長が連署し、弘前市長宛に二日間の延期を陳情している。併せて二日間延期の公園内使用地代も前例によって免除するよう要請している。桜の開花状況が与える影響力の大きさは、その後も基本的には変わらないのである。