弘前市の観光の目玉が弘前城と周辺一帯にあることは論をまたない。弘前城のある弘前公園一帯、長勝寺はじめ禅林三十三ヶ寺一帯、最勝院と鏡ヶ池一帯の三地区に対し、市当局は昭和二十七年(一九五二)以来、史跡指定の申請をし続けてきた。その結果、昭和三十一年十月二十五日、文化財保護委員会は、この三地区を国の史跡指定地とする旨、市役所に通知してきた。市当局としても観光政策を進めていく上で、国からのお墨付きが必要だったのである。
国から史跡指定されれば、国の監督管理を受けるため、物件の変更や修理に至るまで国の許可を得なければならなくなる。けれども弘前城の石垣をはじめ、長年の風雨に傷みも出始めている諸物件の修理には莫大な費用がかかる。財政難の市当局にとって、国の指定を受けるか否かは、単なる名誉欲では決してなく、観光の目玉としての意義以上に、重要な要素だったのである。
観光政策を進めていく上で、国や県の指定する史跡だけでは不十分である。そこで考案されたのが、市による文化財の指定だった。文化財の維持・管理、そして活用には膨大な費用を伴う。建築物や工芸品や文芸作品、民俗文化財など、いずれも極めて個人的な産物であることが多い。そのため私的理由から改築・改訂、破壊、消失することも多々あった。そこで、市当局では国や県の指定文化財以外に、市に存する貴重な文化遺産を公的に管理・維持し、時に公的補助を与えることで文化財の保護に当たった。
昭和三十五年九月十五日、藤森市長は市議会に弘前市文化財保護条例案を提出した。原案は議会審議の結果、二十九日に可決され、三十日、条例の公布とともに施行された。