油屋常祐は、油屋(伊達)常言の子で、【日珖の伯兄】妙國寺の開山日珖の兄である。(妙國寺過去帳)【紹鷗門】茶湯を武野紹鷗に學んだ。(茶人系傳全集)常祐常に愛するところの釜あり、後世之を模して油屋釜と稱した。御物名物記に、【所持の名器】昔引拙所持の灰被の天目、後堺油屋常祐にあり、天下の名器にして、今は御物となり、又曜變の天目、油屋常祐にあり、今尾州家にありと。(數寄者名匠集)其他常祐所藏の名器及び名物には、紹滴肩衝、舜擧筆鶉の繪、平鍑、無滴の花缾、やつれがうし等がある。(全堺詳志卷之下)元龜四年四月、織田信長岐阜から上洛して堺の名器を覽んとて、松井友閑、丹羽長秀に命じて、此旨堺の南北に觸れさせたが、所持の者擧つて出陳した中で、信長の意に協ひ留置かれたものゝ一に、常祐所持の柑子口の肩衝があつた。(堺鑑下)天正七年七月四日卒去。法號を信行院常祐日德といふ。(妙國寺過去帳)妙國寺に其墓碑がある。