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後期の遺跡

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 市内の後期の遺跡数は、年代を明らかにすることのできる遺跡のみを抽出すれば、現在のところ約三五カ所を数えることができる。中期の遺跡が約一〇〇カ所以上を超えることからすれば、おおよそ三分の一の数にしかすぎない。
 遺跡の分布を大きくとらえると、次の五地区とすることができる。
一、西区手稲前田の石狩町から続く紅葉山砂丘の南端地区
二、西区の発寒川扇状地地区
三、札幌扇状地地区
四、月寒川、望月寒川流域の月寒台地地区
五、厚別川野津幌川小野津幌川野幌丘陵地区
 以上の遺跡分布を見てまず最初に気がつくことは、豊平川石山、藤野地区と北部低地には、まったく遺跡を発見することができず、豊平川によって形成された札幌扇状地でも、ほとんど遺跡が見られないことである。
 このうち石山、藤野地区については、今後の調査によっては、遺跡が発見される可能性がおおいにある。
 札幌扇状地は、平岸面、中の島面、札幌面の三つに分けることができる。昭和十二年頃の記録によると、札幌面の南八条西一四丁目で、厚手縄文土器と呼ばれた中期の土器や石器の出土が報告されている。また、中の島面でも前期あるいは中期からの遺物が出土し、平岸面の丘陵部寄りの地域でも同様な結果が得られている。このなかで確実な後期の土器は、中の島面で一、二片を確認できるのみである。これらの遺跡は、その後の市街地拡大の波のために、すべて消滅しており、当初からこの地で営まれたものであるか、または、洪水などによる流入品であるか確認することが不可能である。今後都市の再開発などにより、平屋建ての家屋の下となっている遺跡が再発見され、新しい知識のもとで発掘する機会が訪れることもあるであろう。現在までに得られている遺跡分布の結果にもとづけば、地質学的に札幌面より平岸面の方が古く形成されたとする説を追認したこととなる。
 西日本では沖積平野に遺跡が多いこと、また最近道内で後期の遺跡が沖積地から発見されていることを考え合わせると、今後市内でも沖積地から遺跡が発見される可能性が大きい。