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イシカリアイヌの流散

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 イシカリ場所を支えたのは豊富なであったが、さらにそれ以上に実はアイヌの人々の労働力によって支えられていた。アイヌにとり石狩川の自然の恵みであり、貴重な食料源であると同時に交易品であった。しかし場所請負制下の収奪と抑圧により、人口は減少しコタンも消滅に近い状態であった。食料、日常品など主要なものは、漁場の労働か交易に依存する状況となり、アイヌ社会の生活基盤が失われつつあった。
 第二次直轄になり、イシカリ場所が廃止され直捌となった要因には、場所請負人である阿部屋(村山家)の非道なアイヌへの対応が挙げられている。イシカリ改革以後は、イシカリ役所が改(あらため)役(会)所を通じて直接的に「撫育」を行うようになった。この結果、場所請負制下と異なり、アイヌの立場も多少改善に向かうようになったが(第六章)、充分な成果を得るまでには至らなかった。
 また、アイヌへの優遇策を謳(うた)ったイシカリ改革であったが、この改革は同時に和人出稼労働を招いて、逆にアイヌの労働者の排除を惹起する結果となった。また、開墾地の拡大にしたがい、アイヌは土地を追われることとなり、かつて隆盛をほこったイシカリアイヌが、各地に流散してしまうこととなった。