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沖の口体制

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 イシカリ改革では産業の振興とともに、生産物の流通を円滑化する施策にとりくんだ。イシカリから商品として移出される大半は鮭荷物であるが、この運輸手段をイシカリ役所が新たに確保しないかぎり、新仕法の成果は期待しえない。運輸手段を統制する沖の口体制をどのように引き継ぎ、その枠の中でイシカリの生産物をどう流通させていくかが重要な課題となったのである。
 松前藩の抵抗で全蝦夷地の荷物改めを断念した箱館奉行は、安政三年二月「東地の分、都て箱館にて諸事取扱、西地の分は、伊豆守領分のもの不残請負仕居候間、其儘居置、松前表にて取捌為仕」(幕末外国関係文書 一三)ることにした。すなわち、東蝦夷地の荷物は箱館で船改めをして役銭を徴収し、箱館奉行所の歳入とする。イシカリをはじめ西蝦夷地の荷物は松前藩船改めをして口銭を徴収、松前藩の収入とすると定め、東西二分の形で従来の沖の口体制を存続させることになった。
 イシカリの荷物を扱う松前藩の沖の口体制は、場所請負人をはじめ問屋、小宿など福山城下の有力町人によって支えられているから、改革により請負人を廃止し、イシカリの生産力をいかに増大しようとも、従来の流通手段をそのまま温存するならば、増益の多くは松前藩に吸収されてしまう。そこで手船、船、買積船がイシカリに多く入津し、などの売買をイシカリで行い、相場が福山城下で操作されないよう配慮し、一方、イシカリへ生活物資や漁業に必要な資材が豊富に移入されるよう努め、改革前にくらべると「士民の便利言はん方なし」(荒井金助事蹟材料)と喜ばれるようになった。

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写真-7 イシカリ湾(安政4年 佐波銀次郎著 北遊随草の内)