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島判官時代の建設

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 島判官時代に札幌でどれだけの建設事業が実行に移されたのか、現段階では明確にできない。しかし『御金遣払帖』(市史 第六巻)からそれを推測することは可能である。それから本府営繕関係と思われる記事をひろうと表2のようになる。帳簿であるため支払日がその行為の執行日とはいえないが、その前後にこれらの工事が行われたと考えてよいであろう。十一月二十二日の千吉が本府地(役所としての本府建設予定地なのか、町としての大きな領域全体を指すのか)のどこを伐木したか不明だが、この表2から十一月中には本府に関する建築が開始されていたことがわかる。そしてほぼ一番小屋(役邸)、本府本陣、権大主典役宅の順番で建築されたようである。十一月中旬以降札幌で建設された建物は三、四棟程度であろうか。また一応三年三月までの支払を見ても、大きな費用がかかるような建築は確認できない。しかし山田民弥の『恵曽谷日誌』(北大図)には、「役宅五棟本陣一棟」「大工鍛冶人足の小屋五、六ケ所」とあるが、上記以外には現在のところ確認できていない。おそらく島判官が在札していた三年二月くらいまでには、多くても数棟程度の建設で終わっていたであったろう。しかし人足小屋については、二月には五〇〇人を超す人足たちを抱えていたのであるから、この表2のように「御金遣払帖」では鍛冶小屋を茅作りしたらしいことしか確認はできないが、『蝦夷恵曽谷日誌』(米沢市立図書館)には「大なる茅小屋」と記しているので、茅小屋程度のものを作ってあったのであろう。また豊平開墾で用意したのが、人夫たちの小屋や「御金遣払帖」で確認のとれない役宅などである可能性もある。それでも多大な費用を消費するような建設を行ったとは決して言えない。
表-2 島判官在職中の建築関係記事(御金遣払帖)
月日金額記事
金(両)銭(永文)
11. 17  5両3分 62文5歩名主長蔵へ営繕入用茅買上代を支払う。
11. 18  4.1.2 朱名主長蔵へ営繕入用茅買上代を支払う。
11. 22 13.千吉に本府地内雑木切出し代を支払う。
12. 17  5.3. 62. 5新助へ一番小屋掛縄など代を支払う。
  3.諸職人へ役邸取建骨折りの褒美を出す。
12. 26140.高木長蔵本府本陣取建入用代を貸す。4年返納。
12. 28 44.3. 75.亀吉へ権大主典役宅材木代を支払う。
 2. 9  2.2.100.鍛冶小屋取建の節の茅代を7月9日に発寒村源吉へ支払う。
2. 21 35.弥兵衛へ少主典役宅作料を支払う。
2. 25100.金十郎へ判官少主典役宅等の木挽他の手間賃を支払う。
3. 24100.亀吉へ大主典役宅柱立請負金前借分を支払う。
1.記事の日付は支払日。2月9日は支払日の項に記載された記事内容からとった。
2.「十文字龍助関係文書」(市史 第6巻)より作成。

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写真-6 島判官の官宅となった一番小屋(推定)
高見沢権之丞『札縨御開拓記』では「集議局」とある(北2西1 明治5年,北大図)

 一方全体の計画は、四年五月頃の状態を示す「札幌区劃図」(北大図)にある役宅の配置が「石狩国本府指図」に酷似しているから、四年初めまでは島判官時代の計画に沿って行われたと考えられる。