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お雇い外国人の内訳

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 明治前期の日本では、欧米先進諸国に対応するため近代化に邁進し、その実現へ向けての端的な方法として、官(中央政府省庁)も公(地方府県行政庁)も私(一般企業・個人)も競って外国人を雇用した。明治期を通じてその数は数千人にのぼるものと推定されるが、その実態は十分に把握しえない。明治元年より同二十二年に至る間のお雇い外国人を対象とした「お雇い外国人名鑑」(ユネスコ東アジア文化研究所センター編 資料御雇外国人)には、二二九九人のお雇い外国人の記録がみられる。この中から一三六四人の官傭外国人のみを抽出し、その省庁別・国籍別を示したのが表1である。省庁別では工部省の四七五人(三五パーセント)、国籍別ではイギリス人の六二六人(四六パーセント)が突出している。
表-1 官傭お雇い外国人の省庁別・国籍別表(明治元年~22年)
イギリスフランスアメリカドイツ清国オランダその他不明
工部省370人33人7人12人13人19人21人475人
文部省783576695111210296
海軍省9752545514173
内務省26611154136182
陸軍省67234581
大蔵省301814444781
開拓使41362122562
司法省7153132132
外務省621226230
農商務省57931126
太政官2444216
宮内省1124
内閣22
所属不明2114
626236178130454159491364
原田一典「札幌への道」『お雇い外国人』(さっぽろ文庫19)より。

 この資料によると、開拓使雇いとして六二人が掲載されている。しかし実際に開拓使が雇用した外国人は七八人であった。その国籍は、アメリカ四八人(六二パーセント)、清国一三人(一七パーセント)、ロシア五人(六パーセント)、イギリスとドイツの各四人(五パーセント)、オランダ三人(四パーセント)、それにフランス一人である。開拓使雇いの特徴としては、アメリカ人が圧倒的多数であり、またその職種も多彩である。次いで一三人の清国人であるが、そのうち一〇人が農夫であった。
 開拓使お雇い外国人の職種は、途中で改変したり、また多面的に活躍して一種に限定されない者も存在するが、当初契約時の職種を基本としてその職種別・国籍別にみたのが表2である。
表-2 開拓使お雇い外国人の職種別・国籍別表
アメリカ清国ロシアイギリスドイツオランダフランス
開拓顧問1人1人
学校教師11122117
汽船乗組員9312
鉄道建設88
農業・牧畜55
測量・土木314
建築44
地質・鉱物33
採鉱213
革鞣123
機械・工作22
缶詰製造22
裁縫11
医師11
外国船取締11
通訳11
農夫1010
48135443178
1.職種は当初契約による。2.原田一典『お雇い外国人―開拓』所収「付録・開拓使お雇い外国人総覧」より作成。

 開拓使において最も雇用の多かった職種は、開拓使仮学校・同附属女学校・函館露学校・札幌学校札幌農学校において教授した学校教師の一七人であった。次いで汽船乗組員の一二人であるが、これは本道の輸送手段を確保するため開拓使が購入した、西洋型船舶の玄武丸と矯龍丸(ケプロン丸)を操船する船長・機関士・航海士等である。ただし下級船員はその船舶の日本搬送後に解雇されている。八人の鉄道建設は官営幌内鉄道の建設に従事した者である。