この時期の諸村の村費がどのようになっていたかはよくわからない。ただ十一年の場合、各村の一カ年の村費の報告が行われている(表7)。これによると最高は札幌村の六二円五〇銭、最低は月寒村の二〇円一〇銭と高低に非常に差がある。しかし、村費の高低は必ずしも村の戸数に応じたものではないようである。費目は各村ほぼ同じであるが、費目額は各村にばらつきがあり、同じ小使給料にしてもかなりの差が認められる。
表-7 明治11年村費調 |
村名 | 筆墨紙代 | 炭蝋燭代 | 小使給料 | 郵便代 | その他 | 合 計 |
山鼻 | 13円97銭5厘 | 9円 | 36円 | 1円50銭 | 60円47銭5厘 | |
円山 | 12. | 4. 90銭 | 36 | 道具調3円 | 55. 09 | |
琴似 | 7. 58 | 2. 10 | 36 | 34 | 小使賄代2円15銭 | 46. 28 |
上手稲 | 6. 20 | 4 | 36 | 58. 45 | ||
下手稲 | 6. | 3 | 24 | 33 | ||
発寒 | 3. 60 | 2 | 18 | 23. 60 | ||
平岸 | 6. 98 | 4. 68 | 28. 80銭 | 40. 46 | ||
月寒 | 7. 14 | . 96 | 12 | 20. 10 | ||
白石 | 8. 30 | 7. 28 | 36 | 50. 58 | ||
上白石 | 3. 20 | 1. 08 | 24 | 28. 28 | ||
札幌 | 9. 70 | 4. 10 | 48 | 62. 50 | ||
苗穂 | 7. | 2 | 36 | 45 | ||
丘珠 | 4. 50 | 3. 50 | 27 | 35 | ||
篠路 | 9. 25 | 2. 50 | 36 | 47. 50 |
『取裁録』(道文1951)より作成。 |
この頃の村政事務は、各副戸長(ないし総代)の自宅にて行われており、炭・油・蠟燭代などについて〝公私混同〟の状態であったと思われる。小使給料の額にしても、平均一カ月三円あたりが基準であったようだが、四円や二円というところもあり、給料の額の決定なども副戸長の判断にまかせられていたようである。
また後年にみられるような教育費、土木費などは一切みられず、必要最低限度の費目に押さえられていることもこの時期の特徴である。この頃はまだ開拓初期であり、村治や村落生活全般にわたる負担能力も限られていたと同時に、村落自治もかなり制限されていたため、自治にともなう負担は必要なかったのである。これが大きく変化してくるのは、十三年の戸長役場設置以降である。