明治三、四年に官募移民として入地した農民の成墾地は、五年の北海道地所規則にもとづき地券が発行され、私有地として認められるようになり、七年間の除租期間もあった。これ以降の農耕用未開地の収得は、先の規則や札幌管内開墾地払下規則、北海道土地売貸規則により一〇〇〇坪につき一円で払い下げられ、私有地として認められるようになる(十九年の北海道土地払下規則により廃止)。この場合は開墾開始後一〇カ年が除租期間となっていた。また移住農民の特例としては、七年七月の移住農民給与更生規則により、三カ年の開墾地は無代価で私有が認められ、やはり七年間が除租とされた。
諸村で私有地認定の検定が行われるのは六年である。開墾掛が作成した一一力村の検地野帳が残っており(市史 第六巻)、ここには検地等級、拝借者名、家族人数、宅地坪数、耕地畝数が調査されている。しかし六年の検地によりただちに地券が発行されたかどうかは不明で、実際に私有地へ移管となったのかはわからない。このあと九年になり除租期間が切れ、地租賦課のための地券発行が改めて問題となってきた。九年十一月二十八日に「今般当管内耕宅地其他従前ノ区画ヲ実検シ、更ニ地券発行」のために各村へ官員派出のことが市在区戸長、総代に布達されている(開拓使布令録)。この折の検地が「第一大区五小区豊平村耕宅地明細帳」(市史 第七巻)であるが、全村にわたる検地は完了しなかった。十年十二月に北海道地券発行条例が発布され、北海道の特例として地価の一〇〇分の一が地租と定められた。
地券発行の検地及び地価創定請書の提出が完了するのはだいたい十二年三月から六月(琴似、山鼻村は十五年二月)である。各請書には持主名、在籍地、反別、地価、地租、反当地価、割渡年月、墾成年などが記されている。これにもとづき地券も発行され、またこの年から地租を納める村も出始め、近代的な土地制度が運営されていく。