大通以北の元官地は、開拓使から札幌県、陸軍省、農商務省、工部省などへ引き継がれた。例えば札幌農学校は農商務省、屯田事務局用地は陸軍省、札幌停車場用地は工部省などである。そのため区画の改正には複雑な手続きをとらなければならない場合もあった。
例えば本庁の西側(現西八丁目通)の道路を修築するため、道路用地として土地の一部を委譲してもらおうとした。そのため、札幌県は官園や博物場の所有者である農商務省に了解を求めなければならない。それも札幌での出先機関である札幌農業事務所と札幌農学校を通して、それぞれの了解をとらなければならない。札幌県がはじめてその旨申し入れたのは十七年八月十八日(農業事務所)・十九日(札幌農学校)である。そしてそれぞれの了解をとって授受が終了するのは十八年七月半ばである。ほぼ一年が経過した(札幌県治類典 道文九六二八)。
また十三年の幌内鉄道の開通は札幌の区画に影響を与えた。鉄道路線は北六条通を通ることになり、この通りを道路として使用する際に支障をきたした。そのため札幌県時代の区画改正の際、土木係は北五条西四丁目(この時点では本庁敷地の北東の角)辺について、同丁目の南側を本庁敷地から道路敷地にするように地理係に申し入れた。しかしその議のないことを地理係は回答してきた(同前 道文八九二七)。
屯田事務局用地のあった北三条東一丁目は、同条西一丁目に比べ図1の実線の様に北へ数間ずれていた。そのため破線のように区画を改正した。土地の増減はなかったが、屯田事務局の北側は開拓使時代に官僚に払下をした民有地であったため、地券や地租の関係で租税課との連絡が必要であった(同前 道文七四三六)。
図-1 屯田事務局用地移転関係附図
大通以南の元民地側では、十七年になると区画改正を行いはじめる。西四丁目の南一、二条間道路にはみ出た六軒の家屋について、十五年に取壊しを指令したが、延期願いにより十六年中だけ延期していた。それを十七年には実行する旨、再度指令した。しかし二月の指令について、地主たちは雪中であることを理由に再度六月までの延期を願いでた。六軒の地主たちはこの約束を実行し、六月末には家屋を取り除いた(同前 道文八九二五)。
南六条通にかかわる民家については、まず土木係は地理係に対し、該当の家屋が建てられている土地が私有地であるか公道敷地であるかを問い合わせた。道路敷地であることを確認した上で、市民から出された取り壊し延期願いを却下した。その後の処置については不明である(同前 道文八九二六)。