札幌市中における共同墓地は、明治四年の
暁野墓地(
山鼻村)をもってはじめとする。十年には、
区共葬墓地が南六~七条、西八~九丁目に設置された。一方、村の方では五年頃に
苗穂村に旧
苗穂墓地が、篠路村に
上篠路墓地が、
丘珠村に
丘珠墓地が、
月寒村に
月寒墓地が設置され、移民の増加とともに地域住民の要望に応えて次第に増加し、三十二年段階で表24のごとくになっていた。このうち
豊平墓地は十九年に開設され二十年十一月落成したもので、
豊平村の一万四四〇〇坪を充て、それまでの
区共葬墓地を廃止した。墓地には甲、乙、丙の三等級を設け、乙は伝染病患者、丙は無宿者とした。墓地内には火葬場や葬儀取扱所も設けられたが、東本願寺内の火葬取扱を廃止し、火葬は業者に委託された。火葬料は、上、中、下の三等級に分けられ三円~一円五〇銭であったが、二十五年には二円~六五銭で引き受けるという業者もあらわれた。しかし、二十八年には火葬料が薪代暴騰の折から三円五〇銭~一円に値上げされる始末であった。
墓地名 | 場所 | 開設年 | 備考 |
暁野 | 山鼻 | 明治4 | |
旧苗穂 | 苗穂 | 5頃 | 明治19廃止 |
区共葬 | 南6,7西8,9 | 10 | 明治20廃止 |
豊平 | 豊平 | 19 | |
山鼻 | 山鼻 | 29 | |
円山 | 円山 | 25頃 | |
白石本通 | 白石 | 13頃 | |
白石中央 | 白石 | 5頃 | |
厚別 | 白石 | 22頃 | |
上篠路 | 篠路 | 5頃 | |
元町 | 札幌 | 6頃 | |
丘珠 | 丘珠 | 5頃 | |
雁来 | 雁来 | 16頃 | |
手稲 | 下手稲 | 10年代後半 | |
山の手 | 琴似 | 9頃 | |
発寒 | 発寒 | 11頃 | |
澄川 | 平岸 | 10年代後半 | |
月寒 | 月寒 | 5頃 | |
北野 | 月寒 | 29頃 | |
西野 | 上手稲 | 7頃 | |
苗穂 | 苗穂 | 19頃 | |
上白石 | 上白石 | 7頃 | |
八垂別 | 山鼻 | 21頃 | |
山囗 | 山口 | 18頃 | |
札幌市衛生管理部『札幌市の墓地・火葬場の沿革』を補筆訂正。 |
一方、村においても開村当初仮設の墓地を設け凌いできたが、
苗穂村のように墓地近隣が次第に人家稠密し、村の体面にも関わり、しかも衛生上においても問題が生じてきたことから、新墓地払下げ出願を行い移転する必要に迫られる場合も起きてきた。
下手稲村においても同様であった。