表8は札幌区内倉庫の入庫・出庫数量をまとめたものである。年ごとの変動が大きいために三カ年平均値をとった。四十一~四十三年平均で年間入庫数量は約四五万個、出庫数量は約四四万個であった。これが大正五~七年平均では、入庫約九〇万個、出庫約六九万個に増加している。単位は品目ごとに異なる梱包商品の個数なので、品目構成の内訳は正確に算出できない。そこで、それぞれの商品の増減を見るにとどめる。まず、品名を一瞥してわかることは、農産品が大部分であることである。貨物集散の特徴として農産品は中継地としての性格をもつことを指摘したが、その結果として札幌に産地倉庫が立地しているわけである。農産品の集荷範囲は「札幌付近空知、石狩、千歳郡を限界せる」といわれている(北海倉庫取締役兼支配人山田仙太郎談 北タイ 大6・1・1)。工産品も、粉類など食料品と藁工品などは、どちらかというと産地市場として札幌に商品が集まっていることが推測される。
表-8 倉庫貨物出入高 (単位;個) |
品名 | 明41~43 平均 | 大5~7 平均 | 品名 | 明41~43 平均 | 大5~7 平均 | |
米類 | 30,038 24,264 | 263,500 204,293 | 菜種 | 7,337 14,305 | 16,554 10,623 | |
燕麦 | 146,093 120,894 | 155,616 126,635 | 林檎 | 10,626 12,226 | 1,495 1,495 | |
大麦 | 1,131 857 | 2,493 2,153 | 玉葱 | 77,550 84,357 | 54,219 45,636 | |
小麦 | 46,220 61,007 | 102,423 66,808 | その他 農産物 | 10,041 9,904 | 48,425 28,633 | |
裸麦 | 17,702 12,493 | 21,123 18,165 | 粉類 | 4,224 3,941 | 3,268 2,529 | |
蕎麦 | 1,711 1,251 | 9,343 6,856 | 素麺 うどん | 265 1,926 | 6,013 5,234 | |
大豆 | 22,899 22,578 | 33,281 25,137 | 肥料類 | 24,092 22,908 | 23,810 15,338 | |
小豆 | 12,526 11,412 | 23,239 17,782 | 藁工品 | 7,049 7,418 | 11,591 10,526 | |
色豆 | 4,452 3,011 | 48,634 36,861 | その他 工産品 | 10,354 11,194 | 53,785 43,704 | |
豌豆 | 7,878 6,998 | 25,650 20,021 | 合計 | 448,524 440,926 | 904,461 688,430 |
1.上段は入庫数,下段は出庫数。 2.各年『札幌商業会議所年報』より作成。 |
農産品は米、麦、豆類、蔬菜、果実と多種類にわたるが、米とそれ以外で区別する必要があるだろう。なぜなら米は、多くが札幌区および周辺地域の消費にあてられるのに対して、その他の農産品は小樽に回送され、移出されるものが多いからである。大正五~七年平均の米類内訳は、内地米五七・八パーセント、地米(道内産)四一・三パーセントであった。明治四十一~四十三年平均から大正五~七年平均への伸びを見ると、米は入庫で約八・八倍となり、他の品目には見られない成長ぶりである。明治四十一年の入庫量約一万個が、米騒動が起きた大正七年には約二九万個を示す。ところが表7の原資料によると、米の鉄道到着数量は、明治四十一年二万五四三トンから大正七年二万一一九六トンとほとんど増えていない。そもそも米の移入数量は、この期間に一貫して二万トン前後を推移していたのである。米は内地米、地米ともに鉄道で入荷したであろうから、鉄道貨物統計の数値が、札幌区移入米とほぼ一致するはずである。したがって米入庫量の大正五年以降の増、とりわけ七年の事態は、同じ米が何回か入庫・出庫を繰り返した可能性を示唆している。米以外の農産品で伸びが著しいのは大豆、小豆、色豆、豌豆など豆類である。燕麦はわずかの増にとどまり、玉葱はむしろ大戦期に減っているのである。
さて、札幌区の倉庫は付近農村からの農産品を扱っていたので、季節による在庫の変動が著しかった。燕麦、小麦、大豆、小豆、色豆の出廻りは九月に始まり十一月には各倉庫とも満倉になり、出庫は三月に始まり七、八月に大部分が終了するという(北海倉庫取締役兼支配人山田仙太郎談 北タイ 大6・1・1)。また「札幌の倉庫には堪へず貨物が出入することなし閑散時期には殆んと入荷なく繁忙となれは一度に依頼者多く又庫入すれば容易に新陳代謝せず」(北タイ 明44・7・25)といわれるように、在庫が非常に停滞しやすいことが特徴であった。
四十五年七月に札幌拓殖倉庫が塚島由太郎らにより設立されると、五十嵐倉庫はこれに譲渡され、札幌、北海、拓殖の三社体制となった(北タイ 大元・8・7)。倉庫会社の経営はどのようなものだったのだろうか。表9は札幌倉庫、北海倉庫二社の営業報告書中の貸借対照表をまとめたものである。まず、札幌倉庫は四十三年上半期の赤字が目につく。これは、不況と内紛にあえいでいた札幌倉庫が、取引銀行である拓銀へ救済を仰ぎ、四十三年上半期より拓銀が行員笠原嘉平を取締役として派遣して人事の一新、不良債権整理を行ったためである(北タイ 明43・2・21)。四十五年上半期には年五分の配当を再開し(北タイ 明45・7・31)、表に示した貸付金も大正二年以降減少し、一応改革には成功したようである。
表-9 倉庫会社の営業状況 (単位;円) |
札幌倉庫 | 負債ノ部 | 資産ノ部 | 合計 | 払込資本金利益率 | |||||
資本金 | 諸借入金当座借越 | 当期純益金 | 払込未済資本金 | 地所建物什器馬匹 | 諸貸付金 | 当期損失金 | |||
明41上(17期) | 110,000 | 68,942 | 1,389 | 50,000 | 85,290 | 15,443 | - | 226,376 | 8.6 |
42上(19期) | 110,000 | 52,421 | 1,972 | 50,000 | 60,023 | 55,848 | - | 197,411 | 3.3 |
43上(21期) | 110,000 | 72,971 | - | 50,000 | 67,876 | 41,168 | 7,708 | 191,457 | -12.8 |
44上(23期) | 110,000 | 121,232 | 34 | 50,000 | 92,368 | 82,466 | - | 235,111 | 0.06 |
45上(25期) | 110,000 | 123,867 | 1,107 | 50,000 | 92,791 | 85,767 | - | 237,633 | 1.9 |
大 2上(27期) | 110,000 | 63,245 | - | 50,000 | 91,635 | 21,417 | 1,790 | 193,197 | -3.0 |
3上(29期) | 110,000 | 60,451 | 69 | 50,000 | 92,162 | 32,061 | - | 181,338 | 0.1 |
4上(31期) | 92,000 | 58,107 | 1,627 | 45,000 | 92,162 | 11,354 | - | 152,038 | 3.5 |
5 (32期) | 92,000 | 56,211 | 3,257 | 45,000 | 92,163 | 11,061 | - | 151,709 | 6.9 |
6 (33期) | 92,000 | 41,041 | 2,828 | 45,000 | 92,803 | 166 | - | 138,326 | 6.0 |
北海倉庫 | 負債ノ部 | 資産ノ部 | 合計 | 払込資本金利益率 | ||||||
資本金 | 借入金 | 譲渡手形 | 当期純益金 | 払込未済資本金 | 地所建物什器 | 貸付金 | 受取手形 | |||
明41( 3期) | 100,000 | 40,000 | 17,373 | 4,596 | 50,000 | 76,562 | - | 21,639 | 163,503 | 9.2 |
42( 4期) | 100,000 | 40,000 | 40,801 | 3,050 | 50,000 | 76,562 | - | 45,554 | 185,854 | 6.1 |
43( 5期) | 100,000 | 39,609 | 36,500 | 4,191 | 50,000 | 76,562 | 8,184 | 40,199 | 183,304 | 8.4 |
44( 6期) | 100,000 | 39,190 | 51,232 | 3,288 | 50,000 | 76,562 | 2,192 | 54,801 | 198,348 | 6.6 |
45( 7期) | 100,000 | 38,338 | 30,317 | 3,302 | 50,000 | 76,562 | 2,157 | 30,507 | 178,850 | 6.6 |
大 2( 8期) | 100,000 | 37,411 | 23,823 | 3,732 | 50,000 | 76,562 | 2,164 | 26,688 | 170,795 | 7.5 |
3( 9期) | 100,000 | 36,407 | - | 6,389 | 50,000 | 76,465 | 2,157 | 3,348 | 150,425 | 12.8 |
4(10期) | 100,000 | 35,317 | - | 6,501 | 50,000 | 76,685 | 2,179 | 7,219 | 150,884 | 13.0 |
5(11期) | 100,000 | 34,134 | - | 6,771 | 50,000 | 76,685 | 2,000 | 7,003 | 151,270 | 13.5 |
1.札幌倉庫の大正3年上の「貸付金」は貸付金及受取手形。 2.以下の資料により作成。 札幌倉庫/北タイ 明41.7.30,42.8.1,43.7.31,44.7.31,45.7.31,大2.8.2,3.7.30,4.7.25,5.7.30,6.7.10。 北海倉庫/北タイ 明42.4.23,43.4.22,44.4.21,45.4.19,大2.4.20,3.4.20,4.4.22,5.4.23,6.4.19。 |
ところで、倉庫会社の貸付金、あるいは北海倉庫の欄に見られる譲渡手形、受取手形とはどのような性格のものだったのだろうか。大正六年一月に北海倉庫取締役・支配人山田仙太郎は次のように語っている。
三、四年前までは倉庫が裏書して銀行より融通せしものなるが、近来に於ては其大部分が荷主直接銀行と交渉し融通するを以て、金融上は概して三分一が倉庫扱ひ、三分二は荷主直接と云ふ振合あり。之を金額に見積れば倉庫扱ひ十二、三万円、荷主直接二十二、三万円の概算なり。
(北タイ 大6・1・1)
本来、荷主は倉庫に商品を寄託すると、倉荷証券を担保に銀行から商品価格の八掛の金額を融通されるはずであった。ところがこの時期の札幌では、荷主は倉庫から商品価格の仮払(融資)を受け、倉庫が銀行に手形割引を仰いでいたようである。北海倉庫の貸借対照表の譲渡手形は、倉庫会社が銀行に割引させた手形に該当し、受取手形は荷主から譲渡された約束手形(代金取立手形あるいは荷為替手形)であろう。貸付金、借入金は手形の授受によらない貸借で、倉庫会社が荷主と銀行の媒介となっていたことには違いないだろう。三倉庫会社はそれぞれ取引銀行をもち、札幌倉庫は拓銀、北海倉庫は十二銀行、五十嵐倉庫は北海道銀行であった(北タイ 明45・2・7)。そして、表9の貸付金や譲渡手形、受取手形の額は年々小さくなっている。山田仙太郎の言うように、倉庫を介さない荷主と銀行との直接取引が徐々に浸透したことに対応している。これにより、取扱貨物数量が増大したにもかかわらず、倉庫会社の資産(負債)合計は減少した。この時期に倉庫業は、金融機能をも兼ね備えたものから、商品の受託・保管を中心とした倉庫業へと変化しているのである。