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第六期市会議員

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 市常会で決定をみた市長案にもとづき、札幌市翼賛市会確立協議会結成会は、十七年九月一日札幌神社で開かれ、九人の欠席者があったものの黒沢酉蔵会長を選出、会長のもとで二五人の特別委員が指名され、四四人の次期市会議員推薦候補者が決まり、九月八日協議会の名により公表された。協議会の委員が推薦を受けた時、立候補するかどうかは自由であるが、推薦されないのに立候補してはいけないとされ、委員が推薦外の立候補者を応援することも許されなかった。なお、四四人の推薦候補者中、現議員は一九人、元議員が三人で、新人二二人と半数ずつであったが、うち一人は立候補しなかったため、大政翼賛会札幌支部推薦候補として選挙戦に臨んだのは四三人であった。
 一方、協議会すなわち大政翼賛会支部の推薦を受けなかった五一人が立候補した。あわせて九四人で四四議席を争う大混戦となり、史上最高の倍率と騒がれた前期市会選挙をはるかに上回る二・一倍の立候補者をみるに至ったのである。この事態に三沢市長は「翼賛市会確立のため市民各位に告ぐ」告諭を出して、「議員選挙に於ける候補推薦制の実施は、政府の方針であると共に、今や国内の大勢であり又常識」であるとし、市民に八項の注意を呼びかけたが、その前半は次の通りである。
 大東亜戦争を最後まで戦ひ抜く国民の総力戦態勢を、少しでも弱め乱し妨けるやうな言動ある者は、絶対に之を排斥すること。
 個人主義的自由主義的民主主義的な議会の行き方に執着し之を是認し弁護するやうな思想を抱く者は、飽く迄之を排斥すること。
 大政翼賛運動の発展と大政翼賛体制の確立とを、陰に陽に冷笑し誹謗し妨害するやうな言動ある者は、断然之を排斥すること。
 朋党派閥関係や、個人的の恩義情実縁故や、部分的地方的階級的の利害などの私事を辿って、選挙を争はんとするが如き旧弊な時代錯誤者は、極力之を排斥すること。
 金権を振り廻したり、利益提供を暗示したり、卑屈な媚態を呈したり無責任な煽動的言辞を弄したりして、選挙に臨む悪質な不心得者は、徹底的に之を排斥すること。

 こうして第六期の市会議員を選ぶ投票は十七年十月三日に行われ、推薦候補者四三人中二八人が当選して新市会の過半数を占め、非推薦候補者は五一人中一六人の当選で、推薦候補者が有利な立場にあったことを示している。特に新人候補にその感が強く、非推薦で当選した一〇人が前議員で、新人は六人にすぎない。投票率は前回をやや上回る七一・七パーセントで、七割台に回復したとはいえ、棄権は相変わらず多かった。
 太平洋戦争の戦況が不利に傾く中で、昭和十八年三月十九日市制中改正法律が公布され、国策の浸透徹底のため市政の刷新がはかられた。改正の主な点は、①国政事務を市に委任するに当たって、法律勅令のほか命令でもできるよう簡素化した。②市長は市内の団体に必要な指示をすることができるようにし、有機的一体的市政を可能にした。③大都市における市会議員数を減らし、定数の限度を設けた。④市会の職務についてその議決事項を限定して、概括主義を制限列挙主義に改め、法律で定めた以外の事項は市会の議決を不要とした。⑤市会では予算の増額修正ができないことになり、会期制を採用し、また市会の権限の一部を参事会に移した。⑥市長の選任方法を改正し、考査役を置いた。⑦町内会部落会の制度化をはかった。
 市制改正と同時に町村制も改正され、北海道一級、二級町村制は廃止され、一応全道に本州府県同様の町村制を施行し、樺太も同様となった。したがって、第六期市会の権限は大幅な縮小をきたし、国政委任事務が増大する中で、市長は市常会と公区制を軸に市政の推進をはかった。そのため、市会は行政執行機関のもとで独立性を弱め、地方自治は大きく後退せざるを得なかったのである。札幌市会の第六期選を最後に、各種選挙は非常時との理由で延期され、次回選挙は敗戦後新制度にもとづき、昭和二十二年四月三十日に実施された。したがって第六期市会議員はそれまで任期が延長された。