琴似村では十五年十一月二十三日に町内会・部落会等の設置につき協議されていたが(北タイ 昭15・11・26)、十五年十二月五日に「町内会部落会設置規程」を設けた(昭和十六年琴似村勢要覧)。規程では町内会・部落会を教化、産業、経済、警防、保健、衛生、社会施設、銃後奉公などの事項を行う機関とし、これにより全村で三八の町内会・部落会、三〇七の隣保班が設置された。また中央町内会聯合会(川添東・西、二十四軒北・西・南・東の各町内会からなる)及び盤渓、西部、東部、発寒、新川、新琴似、篠路の七部落会聯合会も設けられることになった。この結果、十六年二月にいたり区設置規程が廃止となっている(北タイ 昭16・2・15)。
豊平町でも十五年十二月に区が廃止され、町内会・部落会に移行している。『豊平町開町七十周年』(昭16)には、以下の五七の部落会長の人名を記しているが、二、三の欠落は予測されるものの、部落会の設置に関してはおおよそ以下の通りであったとみられる。
豊平村 月寒本通第一~三 北部軍官舎 下・上西北通 東北通 下・上西山 西通 二里塚 種羊場 厚別北通 厚別本通 三里塚 厚別南通 公有地 器械場 東裏 中島 下・上本村 精進川 真駒内 土場 石山第一~四 石山精鑛場 穴ノ沢本通 南穴ノ沢 藤ノ沢 上・下野々沢 東簾舞 御料 砥山 宮ノ下 宮ノ上 滝ノ沢 一ノ沢 定山渓第一~六 定山渓農地 白井川 水松沢 豊羽鑛山 簾舞聯合 定山渓聯合 |
各町内会、部落会では毎月定例日に常会を開き、村常会からの指示事項の周知徹底、金品の割当と徴収、さらには地区の問題などについて協議していた。白石村では部落常会の「式次」を以下のように指導していたという(昭和十六年白石村村会議決書及会議録)。①著席、②開会、③修礼、④遥拝・礼拝、⑤国歌斉唱、⑥詔書奉読、⑦黙禱、⑧司会者挨拶、⑨協議・懇談・申合、⑩講演・講話、⑪修礼、⑫閉会、⑬解散。
篠路村烈々布でも十五年十二月に部落常会が設置されたが、部落会の組織は会長、会長代理、総務、教化、産業、経済、警防、社会、衛生、銃後奉公、経理、家庭防火、健民、納税などの部からなり、各部にはそれぞれ部長が置かれていた(烈々布部落会 役員名簿)。会長、部長などの役員には手当が支給されていた。また、各戸は一〇前後の班に編成されていたようである。烈々布部落会には十九年一月から二十一年一月までの「常会日誌」(烈々布会館蔵)が保存されているが、それによると常会は毎月二十八日に開催され役員の選出、各種事業の決定、銃後奉公、物資の供出、地区内の道路修繕、神社祭典などのことが話し合われていた。常会は終戦後も二十年十二月まで部落会として機能していたが、二十一年一月に新たな部落会に改組されている。