貯蓄奨励は、国債購入も重要課題であった。一〇円で一万円、五円で五〇〇〇円の割増金を付けた報国国債が、同年五月十三日に売り出され、札幌郵便局前には市民が殺到し、午前八時から十時の間に売り切れた(北タイ 昭15・5・14)。また、東京、大阪にならって、百貨店にて生活必需品以外のものを五〇円以上購入した客に、公債購入を勧奨する制度が行われた。実施後一カ月の公債売上は、北海道全体で五〇七七円にものぼり、このうち札幌市の三百貨店(今井、五番舘、三越)は三〇七五円と多数を占めていた(北タイ 昭15・8・30)。
写真-1 戦時色濃い4丁目三越前(昭12)
郵便貯金は、十六年十月に定額貯金を始めた。これは、二〇円、五〇円、一〇〇円、二〇〇円、三〇〇円の定額を一カ年以上据置の条件で貯金するというもので、「上流階級向き」とされた。十月一カ月間の札幌市の定額貯金は四五万七〇〇〇円にのぼり、全道の二割六分を占めたという(北タイ 昭16・11・15)。翌年三月までの成績は、全道で定額貯金七万一〇〇〇口、一二七一万円、積立貯金一〇万四〇〇〇件、一カ月当り三八万八〇〇〇円にのぼった。札幌市の積立貯金の普及率は三割七分四厘であったという(北タイ 昭17・6・5)。
十七年度の国民貯蓄目標は二三〇億円、このうち北海道は六億円であった(道新 昭18・1・21、2・11)。翌十八年度は全国二七〇億円、北海道七億円、札幌市七五〇〇万円であった。ただし十八年度は、これとは別に国債、戦時債券割当が追加され、これらを合わせると八一六四万円、市民一人当り三五五円弱であった(道新 昭18・3・12)。翌十九年度の札幌の貯蓄目標額は一億一五〇〇万円(道新 昭19・4・8)、年度途中の「改訂」により一億四四〇〇万円(道新 昭19・10・5)と際限なく上がっていったのである。
貯蓄推進体制も抜本的に強化された。十六年六月の国民貯蓄組合法に基づき、国民貯蓄組合がつくられた。札幌市の組合数は、官公署関係九九、会社・工場・商店一九七、町内会・部落会三四、その他一〇四であった(北タイ 昭16・9・13)。なお、国民貯蓄組合は、職域から地域へと広がり、公区ごとに設立され、貯金、公債ともに公区ごとに割り当てられるようになった。しかし、十九年下半期以降には、「幌都の職域貯蓄戦果挙らず」(道新 昭19・10・11)、「振はぬ都市の貯蓄」(道新 昭20・2・6)など息切れするが、二十年上半期には盛り返し、四~六月の三カ月間に七六一七万円と年度目標の三一・九パーセントを達成したのである(道新 昭20・8・14)。