十返舎一九と信濃

 十返舎一九が初めて信濃を訪れたのは、文化8年(1811)で、中山道を軽井沢から木曽路へ抜けています。これをもとに、『木曽街道続膝栗毛』第3編(文化9年)、第4編(文化10年)、第5編(文化11年)が書かれています。
 文化11年(1814)には、木曽から松本に入り、穂高、大町新町、稲荷山を通って善光寺参詣し、越後へ抜けました。これが、『木曽街道続膝栗毛』第6編(文化12年)、第7編(文化13年)、『従木曽路善光寺道続膝栗毛』第8編(文化13年)の材料となりました。
 文政元年(1818)には、越後から善光寺参詣し、大笹街道を通って草津温泉に抜けました。これにより『善光寺道中続膝栗毛』(文政2年)、『上州草津温泉道中続膝栗毛』(文政3年)が生まれました。
 文政2年(1819)には、信州各地を巡り、上田から軽井沢を経て江戸に帰っています。この旅日記は『滑稽旅加羅寿(たびがらす)』第2編(文政5年)となりました。また、甲州から諏訪、松本を経て善光寺参詣する『金草鞋(かねのわらじ)』第13編(文政3年)も生まれました。
 一九の善光寺参りの文学は、『続膝栗毛』と『金草鞋』がありますが、どちらも江戸から中山道、北国街道を経て善光寺参詣する「江戸っ子」の善光寺参りコースではありませんでした。『戸隠善光寺往来』は、一九が初めて江戸住人のために書いた善光寺参詣案内です。