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通常会員 西 尾 忠 治(注18)
吾人は実業的志想を抱いて此山林学校へ入学したので、入学以来日尚浅く研究する所も又顕著ならずですが、此度此雜誌の発行に際して前題の如(ごと)き問題を述べて見ようと思ふて余白を汚したのです。
扨(さて)此信州の人間も申(もうし)まする通り山高くして水清く、而して山水の秀麗は吾人の精神を現はして居るな
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どゝ誇つて居る如(ごと)く、一般に我国の秀麗なる山水は国民の審美心を現はし、清々たる帝国の風光は日本人の精神を現はして居る。而して自然の美を愛し自然の美を楽む事が大和民族の如きは外国には無いとの事です。外国人が云ひまするに日本人は植物を愛する天性を有して居る。彼(かの)春日(しゅんじつ)、野に耕して居る面色(めんしき:顔のいろ)漆の如き農夫が、終日泥土・糞尿を弄(ろう:もてあそぶ)したる粗大の手を以(もっ)て、艶麗(えんれい)なる一枝の花を折りて観賞しつゝ家に帰るが如き。又何如(いか)に狐狸と同棲する野人も如何に衣食の為めに汲々(きゅうきゅう:あくせくと一心に努力するようす)たる奴隷、2、3の桜花なり梅花なり或は其他2、3の鉢植を持て居(お)らぬ者は無い位である。況(いわ)んや其外生計に余裕ある人に於てをや。
又我国人は如何なる無識の人間と雖も20や30の植物の名を知らぬ様な者は無いのである。夫(そ)れ我国は天賦(てんぷ:天があたえたもの)的森林国にして且此(この)国民にして此(かく)の如き天性ありたり。然(しか)らば則ち国民の天性として、樹木を養成し森林を経営し之を撫育(ぶいく:いつくしみ育てること)し之を保護するに当り、注意の周到なる事は推して知るべきことであるが、併(しか)し翻(ひるがえっ)て我国維新後の森林の有様を見るに、到る処(ところ)禿山連亘(れんこう:つながって長く続いていること)し、生産収利は日に減じつゝありし勢なりしも、政府は茲に着眼せられ森林法(注19)なるものを設けて、維新此方(このかた)頽(くず)れたる森林の経営に勤めつゝある。斯くも此天性愛林の志想に富める国民があり乍(なが)ら、現時の如き勢に至らせたのは畢竟(ひっきょう)維新後林政が乱れて其方法宜しきを得なかつた結果である。旧藩時代に於て各藩の林政の周到であつた事は殆んど賞賛する外は無い。乍併(しかしながら)今日は立派な森林法を設けられて発布になつて居るが、之れが実行に至つては或一、二の地方に限りて行はれて居る様な訳で頗(すこぶ)る慨嘆の至りである。天性愛林志想に富む国民が此天賦の森林国に生れて居るのであるから、是非とも到る処(ところ)に鬱蒼たる森林を形成して、直接に間接に国家に利益を与へんとする事をば腕を奮つて研究せんと欲するのである。