名主

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 名主町年寄の次役で、町年寄を補佐し、町政を取扱うのはもちろん、また特に市民の願届請証文等に連印する事、出稼廻り鑑札に証印する事、変死人を立会検視する事、地所売買質入等実地調査する事、駅逓人馬を割当する事などを担当した。その人員は寛政11(1799)年幕府直轄の初めには、市中9か所に各1名ずつおいたが、間もなく減じて享和元年には左の4名とし、その受持は次の通りであった。
 
大町 弁天町 鰪澗町 名主 新十郎
山ノ上町 神明町 同 次兵衛
内澗町 地蔵町 同 四郎右衛門
大黒町 仲町 同 伝右衛門

 
 また、特に名主の中から肝煎名主を置いたこともあり、文化9(1812)年笹屋西村次兵衛が命じられ、蛯子七左衛門同様に心得べき旨が達しられたのをみると、普通の名主よりも重んじられたものと思われる。名主の任免は、町年寄および現在名主の協議によって意見を具申し、奉行所から辞令をもってこれを命じた。平日羽織、袴を着し、脇差を帯び、肝煎名主は肩衣、袴を用いた。諸役銭および町費の負担の免除は町年寄と同じであった。