箱館に本店を置く

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高田屋金兵衛苗字帯刀御免の書

 しかも文化9年幕府が直捌制度を廃止し、再び場所請負制度をとると、やがて高田屋は択捉場所の外、根室幌泉場所を請負い、いよいよ手広く場所経営に乗出し、その産物のごときは、きびしく精撰して荷造りをなし、の商標を付けて移出したので、諸国の商人は皆これを信用して内部を検査することなく取引したという。その後、箱館大町の支店を本店に改め、倉屋敷を内澗町ならびに宝町および蓬莱町に設け、別に長屋数棟を恵比寿町に建てて番頭以下雇人の者を居住させ、かつ支店を大坂兵庫に置いて巨富を得たばかりか、ことにこの間、第8節に後述するように、ロシア船に捕えられ、ゴロウニン釈放という国際的な外交交渉にも当たり、日露両国の関係を円満に解決してその功を賞せられるなど、まさにその名声は遠近に知られた。
 なお、嘉兵衛が御用御免を願い出て、事業一切を弟金兵衛ら兄弟に譲り、郷里都志本村に隠居したのは文政元(1818)年といい、同10年4月5日この地に59年の生涯を閉じている。