消防組織の確立

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 古くは火災発生の際、近隣の人々が協力して消火に当たる以外には一定の消防組織を持たず、消防人足の発生も明らかではない。火災に出動する専門的な消防組織が確立されたのは、次に述べる文化3(1806)年10月4日の大火以降のことであった。初めて人足を各町から繰り出して消火に当らせたのが文化2年で、この年の正月に町年寄から各名主へ通牒を発して消防人足の受持を定め、奉行所へ届出たが、その大要は次の通りである。
 
○御役所消防 大黒町 地蔵町受持
 右近傍出火の節は両町人足不残駈付消防に従事す。大黒町近傍の節は地蔵町人足は役所へ、大黒町人足は火事場へ出て消防す。地蔵町出火も亦此例に依る。
交代屋敷、吟味役屋敷、調役其外住居向は会所町山ノ上町受持。
弁天町官庫は弁天町人足三十人受持。
大町官庫は大町人足二十人受持。
内澗町官庫は内澗町人足三十人受持。
弁天町人足七十一人の内、三十人は火災の遠近に拘らず町内御蔵所へ詰合せ、四十一人は火事場の消防に従事す。
○タナゴマ町人足十四人は火事場の消防に従事す。