箱館の地場産物

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 当時代における箱館についてみると、まず地場産業の中心である箱館近海沿岸から、六箇場所にかけての漁業は、前時代にはわずかに試験的な漁業に過ぎなかった鰯漁業も、文政期に入ると、ひとかどの漁業に発達し、天保年間に至ってますます繁盛を極めた。この魚は一般に曳網を用いて漁獲し、搾粕に製して肥料として箱館を経由して本州方面に移出された。
 由来、本道の鰯には「ヒシコ」および「マイワシ」の2種があり、「ヒシコ」はその大小によって「ジャミイワシ」(大抵2寸以下)「マイワシ」「セグロ」「ゴボウセグロ」などの名称で呼ばれている。「マイワシ」は普通「ビラコ」といい、これを大・中・小に分け、大・中の「ビラコ」は体側に7~8の黒点があるところから「七ツ星」ともいわれている。このほか小鰊も鰯と称して漁獲するものもあり、樽前その他東蝦夷地においても相当の産額をみせた。箱館地方は主として「大ビラコ」「大セグロ」が多く、11月から12月のころにこれを漁し、その脂肪の多いところから「アブライワシ」ともいわれている。
 昆布は全道的には産額を増したが、しかし箱館地方は、むかし上品とされた赤昆布は次第に減少して、この時代にはほとんど産出がなくなった。『松前方言考』(嘉永年間淡斎如水すなわち蛯子吉蔵著)によって、当時の産出昆布の名称および産地を挙げれば、次の通りである。
 
サウマイ 第2章第6節に既述の通り
ハマノウチモトゾロエ 小安場所から臼尻辺までの昆布をいい、また羽揃えとも称し元を揃え先はそのままで長さ5~6尺のもの
ミトコロユイ 昆布を3か所結ぶところからこの名がある
シカべモト 鹿部場所から産出されるもの
カヤベモト 茅部場所から産出されるもの
ヲリコンブ 昆布を1尺7~8寸から2尺位に元を揃え、鼻先の方を折りたたむ故にこの名があり、多く尻沢辺から小安までの間に産し、俵物として長崎に積送るため、1把たりとも他に売買することができなかった
シオホシ これは細葉の昆布で目方4~5貫程に束ねたもの
ネタナイキリ これも前同様で根田内村から産出、細葉を3尺あまりに切ったもの
ミツイシ・トカチ これも前同様で産地の名をもって称された
ダコンブ 下品の昆布を2尺余に切り、小束を4つ合せ3か所を結ぷ、これには上磯、下磯の別があり、俵物として積出された。