外国人居留地問題

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 外国人の居留地大町の海面2000坪(長さ40間、幅50間)を埋め立ててこれにあてることにし、安政6年12月官費で工事を起こし翌万延元年9月に竣工した。竣工に先立ち同年3月、居留外国人を呼んで図面を示し、各自の希望する坪数を申出させたところ、彼らはこんな狭い土地では2、3人を満足させるに過ぎないとして相談がまとまらず、その後英国領事から右埋立地を台場とし、台場敷地として予定された築島付近を割渡してもらいたいと申出たので、同年9月商人らの埋立てた地蔵町の地を貸し渡そうとしたが、英国領事は居留地は政府において設けるべきもので、商人の埋立地に永住の家屋は建てることができないと抗議した。ときたまたま英国商人ポーターの家屋が焼失したので右埋立地に建設された家屋の借用を請い、これを貸し渡したため彼らの抗議はついに貫徹せずに終わった。大町の埋立地も文久元年4月これを10区画に分かって、アメリカ人6、イギリス人3、ロシア人1に貸渡した。貸料は100坪につき1か年28両である。元治元(1864)年になって築島居留地に当てることにし、松川弁之助らの埋立地を官地とし、これに若干の地積を埋め増して波止場を築いたが、その後外国人の来任する者は減少し、従ってこれを利用する者も少なく、諸所に居留して雑居の姿となった。なお『函館外務懸書類』によって、安政6年以降慶応元年までの「外国人居留地坪数並地税調」を挙げれば、次の通りである。
 
安政六末年四月貸渡
一 合坪二千坪
 一ケ年地税 洋銀二百四十弗


   上大工町  魯領事
文久元酉年四月貸渡
一 合坪三百五坪二合八才
 一ケ年地税 洋銀百九弗九十一セント四


   大町築島  英商人 ブレキストン
文久元酉年四月貸渡
一 合坪七百七坪七合六勺
 一ケ年地税 洋銀二百五十四弗八十八セント五


   大町築島  英商人 ハウル
文久元酉年四月貸渡
一 合坪百四十五坪七合七勺八才
 一ケ年地税 洋銀五十二弗四十九セント九


   大町築島  米商人 ライス
文久元酉年四月貸渡
一 合坪二百十三坪八合七勺
 一ケ年地税 洋銀七十七弗二セント一 


   大町築島  魯商人 ピヨートル
文久元酉年四月貸渡
一 合坪三百五十七坪七合六勺五才
 一ケ年地税 洋銀百二十八弗八十四セント一


   大町築島  丁抹商人 デュース
慶応元丑年五月貸渡
一 合坪八百十九坪五合
 一ケ年地税 洋銀二百二十九弗二十一セント四


   地蔵町築島 英商人 トムソン
慶応元丑年十二月貸渡
一 合坪千三百坪七合
 一ケ年地税 洋銀三百六十三弗八十セント六


   地蔵町築島 丁抹商人 デュース
慶応元丑年十二月貸渡
一 合坪百四十一坪二合五勺
 一ケ年地税 洋銀三十九弗五十セント八


   地蔵町築島 独商人 ガルトネル
慶応元丑年十二月貸渡
一 合坪百十坪五合
 一ケ年地税 洋銀三十弗九十セント七


   地蔵町築島 米商人 ウェルキー