戸長、副戸長の任命

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 この戸籍法を受けて北海道ではまず函館市街だけが翌5年2月27日(市中への布達は29日)に、戸籍区3区を設定、戸長・副戸長制を導入、大年寄、中年寄、町代を廃止した(「開公」5734)。大年寄、中年寄から各区の戸長、副戸長に任命されたのは次の人々である。
 
第1区戸長伊藤重兵衛副戸長中村兵右衛門
第2区戸長松代伊兵衛副戸長平田新左衛門
第3区戸長白鳥衡平副戸長小島又次郎

 
 函館では戸長の任命を単に戸籍吏の配置としてではなく、町会所=町政担当の首脳人事として実施したわけである。大年寄、中年寄制となった時点では7人であった中年寄が、いつ6人となったかは不明である。以後この戸長副戸長が町会所にあって町政を担当するという体制は、明治12年7月に郡区町村編制法が導入され、区役所が誕生するまで続いた。この間の戸長副戸長の任免はほぼ確認できたので表(表2-22)にして掲げておく。
 また29日の市中への布達により、町代廃止に伴う措置として「町用掛」が各区に5~6人配置された。また3区を総轄するものとして「総長」を置くこととなっていたが、同日行われた東京出張所への問い合わせで、戸長人事は「夫々申渡相済申候」とあるのに対し、「総長可申付と存候処、其身分及等級等一般ノ振合不心得、右は庶務掛より兼務にて可然事に候哉」と、「総長」については任命者名は無く「一般ノ振合不心得」とその具体策を問い合わせている。これに対して東京出張所から何らの指示もなく、その後もこの総長は置かれた形跡はない。さらに全道一律に区戸長の月俸が決められた明治7年には「総長」は「区長」に置き換えられていたようであるが、当時の開拓使函館支庁の主務官杉浦誠の書簡では「区長に選挙すへき人物即今無之候間、此分は当分欠員」とあって、明治11年4月に常野与兵衛が区長に任命されるまでは、未設置のまま推移したようである。
 さらに先の布達では同時に5人組の存続にも触れ、「五人組の儀は従前の通御布告等に不相背様倶吟味いたし、仮令親類たり共他所のもの止宿の節并に主人或は家内のもの他国いたし候節は、組合頭へ相届戸長へ申出、火盗防ぎの儀は互に心付、病気其外の災厄は救ひ合、都て睦敷合交り可申事」と布達している。
 
 表2-22 区戸長一覧表
明治5年
明治6年
明治7年
明治8年
明治9年
明治10年
明治11年
明治12年
区長常野与兵衛
(4.17任)
常野与兵衛
一大区戸長伊藤重兵衛
(2.11.27大年寄)
伊藤重兵衛  52才
第1大区4小区  元町
伊藤重兵衛伊藤重兵希衛
(12.24第2大区戸長となる)
常野与兵衛
(11.14任)
常野与兵衛
(4.17まで)
杉野源次郎
(7.1等戸長)
杉野源次郎
(1等)
副戸長中村兵右衛門
(4.25辞任)
工藤弥兵衛
(4.25任)
辻嘉左衝門
(5.28任)
辻嘉左衛門  42才
第1大区2小区  片町
未稚認未稚認大橋宇左衛門大橋宇左衛門大橋宇左衛門
(7.より2等戸長)
(11.15辞任)
上田武左衛門
(2等)
副戸長矢本直十郎
(2.11.27中年寄)
矢本直十郎  51才
第1大区2小区  山上町
矢本直十郎矢本直十郎矢本直十郎矢本直十郎
(11.25病死)
榊吉右衛門
(1.任?)
(7.より2等戸長)
林宇三郎
(2等)
副戸長牧田要蔵
(3.2任)
(7.より2等戸長)
牧田要蔵
(2等)
二大区戸長松代伊兵衛
(2.11.27大年寄)
松代伊兵衛 66才
第2大区4小区 大町
松代伊兵衛松代伊兵衛
(6.9辞任)
井口嘉八郎
(11.8任)
井口嘉八郎
(13年9月兵右衛門と改名)
井口嘉八郎 井口嘉八郎
(2.20まで)
山崎清吉
(7.1等戸長)
山崎清吉
(1等)
副戸長新田孫右帯門
(2.11.27中年寄)
新田孫右衛門
(?辞任)
佐藤庄兵衛(6.7任) 50才
第2大区1小区 神明町
佐藤庄兵衛佐藤庄兵衛佐藤庄兵衛佐藤庄兵衛佐藤庄兵衛
(2.20まで)
興村忠兵衛
(3.2任)
(7.2等戸長)
興村忠兵衛
(2等)
副戸長平田新左衛門
(2.11.27中年寄)
平田新左衛門 76才
第2大区2小区 弁天町
平田新左衛門平田新左衛門
(12.24辞任)
伊藤重兵衛
(12.24任)
伊藤重兵衛伊藤重兵衛伊藤重兵衛
(7.より2等戸長)
伊藤重兵衛
(2等)
副戸長渋田利右衛門
(3.2任)
(7.2等戸長)
畑野仁平治
(2等)
三大区戸長白鳥衡平
(4.1.9大年寄)
(前名今右衛門)
白鳥衡平 40才
第2大区4小区 大町
白鳥衡平白鳥衡平白鳥衡平白鳥衡平
(12.28辞任)
安浪次郎吉
(7.1等戸長)
安浪次郎吉
(1等)
副戸長小島又次郎
(2.11.27中年寄)
小島又次郎 56才
第2大区5小区 内澗町
小島又次郎小島又次郎小島又次郎小島又次郎
(12.1.辞職)
安浪次郎吉
(1.任)
副戸長木下忠右衛門
(2.11.27中年寄)
石川喜八
(1.6任) 43才
第3大区1小区 地蔵町
石川喜八石川喜八石川喜八石川喜八
(12.1.9辞職)
杉野源次郎
(1.任)
渡辺儀三郎
(11.29 2等戸長)
渡辺儀三郎
(2.?辞任)
白鳥宇兵衛
(3.任)(2等)
副戸長山崎清吉
(1.任)
工藤弥兵衛
(7.27 2等戸長)
工藤弥兵衛
(2等)

 ※ 明治9年9月からは1~3大区は、14~16大区となる。また、明治11年2月20日に井口嘉八郎が戸長を辞任した後は、常野与兵衛のみが戸長(3月から各区副戸長3人体制)、同年4月17日に常野与兵衛が区長となり、7月26日からは副戸長全員が戸長(1等及2等)となる。