区会開設ノ義ニ付願 |
御維新以来格別開拓使ノ御教育ヲ蒙リ、追々市民一般智識発達大ニ面目ヲ相改メ、先年ヨリ明治九年第百三拾号布告ニ基キ人民惣代人御法則御発令相成、随テ区内公共事件ハ時トシテ惣代人関係仕候得共、其権限及議事法モ無之、百事疎忽ニ失シ日新ノ御時世、殊ニ開拓御多端ノ土地柄ニ対シ、甚不都合且民情ヲ地方庁ヘ貫徹仕兼候義間々有之候間、本年太政官第十八号布告区町村会ニ拠リ函館町区会開設仕度候間、格別ノ御詮議ヲ以テ私共請願ノ通御聞届被下度、直チニ区会法御発令奉願候 以上 |
明治十三年七月六日 |
(明治十三年「函館支庁文移録」道文蔵) |
『函館区史』には「本年太政官第十八号布告区町村会に拠り函館区区会開設仕度候間」とあるが、この函館支庁の控えには「本年太政官第十八号布告区町村会ニ拠リ函館町区会開設仕度候間」とあり、支庁の内部検討では町会についても検討しているので、請願書は「函館町区会開設」となっていたものと思う。
この請願書に連名していた各町人民総代は次の人々である(「函館区会沿革大要」『河野文庫』北大蔵)。
会所町人民総代(中村兵右衛門・小林重吉)、山ノ上町仝上(広田丈吉・村林又右衛門)、弁天町仝上(枚田藤五郎・林宇三郎・渋田利右衛門)、天神町仝上(成田嘉七・石田四郎右衛門)、大黒町仝上(鈴木久蔵・及川弥兵衛)、大町仝上(脇坂平吉)、内澗町仝上(渡辺熊四郎・今井市右衛門・金沢弥惣兵衛)、地蔵町仝上(亀井惣十郎・泉藤兵衛・菊池治郎右衛門・村田駒吉・三浦喜助・米谷権右衛門)、鶴岡町仝上(官野宇一郎・大宅民蔵・西村善吉)、山ノ上町仝上(佐々木政十郎・安保定兵衛・工藤孫三郎・中村右三郎)、尻沢辺町仝上(丸山文右衛門・和田幸太郎) |
函館新聞はこの時の動きについて7月9日に次の記事を載せた以外、総代人の区会開設出願に関する記事はまったく載せていない。これはこの4月に布告された集会条例により政治的な集会が規制されることになったためか、その他の原因によるものかは不明である。
昨日は函館区総代人一同及び有志輩とも凡そ五、六〇人名程谷地頭町朝清楼に集会し懇親会を催ほし、傍ら区会開設の事に付何か協議せんとて既に会合したる人もありしが、如何いふ次第か区役所より或総代人を呼出し何か心付の簾を口達されたので、急に廃会せし由なるが、不日警察へ届け済の上再び同楼に於て開会するといふ風説なり |