地質

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 福富によると亀田半島に古生代の岩質があると述べているが、長尾・佐々によると第三紀の古第三紀の地層がないと報告されている。地下資源調査所の「函館市の地質」によると、亀田の東部に緑色凝(ぎょう)灰岩が下部構造にあり、川汲層緑色凝灰岩と呼ばれ、新第三紀中新世の訓縫統に対比されている。この川汲層緑色凝灰岩より古い岩質は函館の南東部での黒色砂岩と粘板岩で、部分的に粘板岩が千枚岩に変質して緑色化したのがあるといわれているが、亀田では明らかでない。川汲層の上部には硬質頁(けつ)岩層がある。これを汐層硬質頁岩と呼び、中新世の八雲統に対比されている。また、函館市の松倉川上流域と下流域には松倉集塊岩が分布している。この集塊岩は中新世の終りから鮮新世の初めにあたる黒松内統の集塊岩とほぼ同時期のもので、この黒松内統集塊岩層が七飯町では横津岳の溶岩下部にある。これらのことから亀田の地史は松倉集塊岩や黒松内統集塊岩ができたころから始まると推定される。函館では松倉集塊岩ができてから函館山の火山活動が起こる。約二千万年前のことであるが、この堆積物が函館山の西側にあたる位置にあって、寒川火山噴出物と呼ばれている。このころの函館や亀田周辺は海水が覆っていて現在の地形とはかなり違っていた。亀田半島や渡島の山もその多くはまだできていない。地質の調査によって函館山ができる少し前に八雲で火山活動があったといわれているので、その間には山らしい山はなかったのであろう。火山活動が起きると古い地層を貫いて新しい溶岩が盛り上ったり、新たな火山噴出物が堆積して地層を形成することがある。松倉集塊岩層にはその層を貫いた多量の粗粒玄武岩があり、この下に石英斑(はん)岩、石英安山岩、石英粗面岩が入っているので、函館山の火山活動と前後して松倉集塊岩も火山の影響を受けていた。亀田川上流の函館市上水道水源池中野ダム西側に柱状節理の露頭がある。これも火山活動によるものである。新第三紀中新世から鮮新世にかけて亀田と周辺地域で活発な火山活動があり、現在見られる山が形成してゆく。函館山に次いで横津岳ができる。横津岳は二度の火山活動があって、最初の下部溶岩と次の上部溶岩が流出して堆積するが、噴火はしていない。初めの溶岩は、現在の横津岳を中心に溶岩が流出して放射状に張り出す尾根を造り、亀田半島の主要部を形成した。二度目の上部溶岩は横津岳南東部にある横津平を形造った。横津平の更に南東にある袴腰岳は、初めの下部溶岩の上に木地挽(ひき)溶岩に似た細かな平板状節理の発達した岩質で形造られている。横津岳の上部溶岩が流出した時期について鈴木守・国府谷盛明は、これまで考えられていたよりも数百万年も新しい第四紀の洪積世まで下るのでないかと考えている。従って袴腰岳の上部にある火山の溶岩などは、横津岳の上部溶岩が流出するまでの間に別の火山流出物が堆積してできたとも考えられる。袴腰岳の南の平坦な地形から南方に雁皮山がある。この雁皮山に連なる蝦夷松山、蓬揃山の東側には、松倉川をはさんで三森山がある。松倉川や三森山は函館市内であるが、地質の上で関連がある。雁皮山三森山は鮮新世で約一、五〇〇万年前にできている。雁皮山雁皮山溶岩によるもので、三森山周辺にまで及んでいる。この溶岩は黒味を帯びた安山岩で、蝦夷松山、蓬揃山、函館鉱山にも影響を与えている。三森山は色調が明るい青灰色か暗褐色で非常に硬い安山岩の溶岩から成り、雁皮山溶岩のあとに流出して堆積している。

(別表)北海道南部地質表

 亀田とその周辺の地質は、主に火山によるもので、その成立は新第三紀中新世の後半から活動した造山運動によるものであり、鮮新世になっても続き、第四紀にはほとんどが形成されてしまった。