西桔梗の丘陵と段丘面
西桔梗の丘陵と段丘面
人類が北海道で生活するようになったのは、日吉町段丘など中位段丘が形成されてからである。現在の集落の発生が段丘の河川流域にあったように、人類の生活と段丘とは密接な関係にあって、先住民族の遺跡も段丘上に残されている。北海道で初めに人類が生活したのは札幌低地帯の千歳市の海成段丘と十勝平野の段丘上である。今から二万三千年代で寒冷な気候であった。マンモス動物群がいたころなので、彼らをマンモスの狩人と呼んでいるが、旧石器時代の終りになると渡島半島にも遺跡が発見されるようになる。
亀田の段丘では、赤川段丘、日吉町段丘、西桔梗面、火山扇状地、沖積段丘に先史時代の遺跡が分布している。地域によっては段丘に分布する遺跡の時代と段丘の時期が関係することもある。洪積世になると人類が北海道に定住を始め、沖積世になると縄文遺跡も多くなり、海進、海退によって段丘ができるところもある。一万年前以降であるが、これを地質学では沖積段丘と呼び、海成に限らず河川によって形成する河岸段丘もある。人類は生活しやすい場所を自由に選択できた。その時に形成された段丘に生活の場所を選んでいると、遺跡から発見される資料によって段丘の成立年代が明らかになる。また、生活の必要性によって、すでに形成されていた段丘に生活の場を求めることもある。亀田には広大な段丘が発達して縄文時代の遺跡も多く、桔梗にある大規模なサイベ沢遺跡は有名である。段丘と遺跡が特に関係あるのは日吉町段丘の西桔梗面と、更に低い函館平野にある段丘の遺跡である。縄文早期の遣跡は普通中位段丘にあるが、亀田ではこの低い段丘にしか見当らない。この段丘は洪積世の粘土層で、縄文早期の生活面がある。その上面は厚い沖積の腐植土層で覆われており、一段と高い西桔梗面との差は一〇メートルほどであるが、段丘崖(がい)に浸食面が見られ、しかも西桔梗面の遺跡は縄文前期の後半からの新しい遺跡である。この縄文前期の後半から中期にかけてのサイベ沢遺跡には貝層があって、現在では考えられないほど大形のハマグリやアサリの貝殼が出土している。これは縄文時代の海進、海退を示すもので、洪積世の最後の段丘が形成され、縄文早期の人類が住んでいたが、縄文前期の前半になって海進が始まり、人類が低位段丘に住めなくなり、西桔梗面に移動したが、その数千年間に函館平野の低地部にハマグリやアサリが繁殖したあと海退期に入ったのである。この洪積世の低位段丘は函館段丘に比定できよう。函館段丘の遺跡は縄文早期の梁川町遺跡と、縄文早期後半から縄文前期前半の千代ケ岱遺跡がある。亀田の低位段丘と函館段丘の標高には差があるが、現在に至るまでの八、〇〇〇年近い年数の間に地殼変動などによる段丘の変化があった。