明治十六年

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・五月下旬 茅部郡宿野辺村にイナゴ大発生し、同郡及び亀田・上磯二郡各村に蔓延する。(明治十五年六月に、茅部郡尾白内村・落部村・野田追村の三村にイナゴが発生していたが、これが十六年五月の大量発生に何らかの影響を与えたものであろうか。)
・六月から八月の間、降水量少なく全道的に農作物不作となる。
・八月 悪天候続き、この為昆布の採取量減少する。
・十月七日 樽前山噴火
・十月十四日 函館警察署亀田分署設立され椴法華村は亀田分署の管轄下に属する。
・十月 茅部郡、烏賊・鮪・鰮大漁となる。
 当時の新聞はこの時の様子を次のように報じている。
 
    明治十六年十月廿二日 函館新聞
     ○大漁
   茅部臼尻尾札部両村の近傍は是まで大抵五年目毎に烏賊の大漁を見る處なるが當年ハ殊の外豊漁にて昨今頻りに鯣(するめ)に製(こし)らへ居(お)るよし又鮪も大漁の由なるが相場は鹽切にして昨年は百石四百圓なりしに當年は百五十圓に下落せりと又同郡尾白内・鹿部村の近傍は此ごろまで鰯の大漁にて〆粕も追々製し上がれりと故に右各村は何れも人気よく大景気なりといふ爰(ここ)に笑ふべき一話あり先日太陽光紅色に變ぜし時、臼尻尾札部の村中に右の變色は全く烏賊を無暗に捕るために天の崇(たた)りならんと評判せしところ一時村中一同烏賊の澤山捕れるにも拘(かか)はらず皆んな漁を中止したとぞ。
 
 椴法華村の記事は見当らないが、多分烏賊・鮪は大漁であったものと推定される。
・十月二十四日 帆船八雲丸三十一屯、恵山沖航行中北西暴風により遭難するが、その後自力にて辛うじて救かる。
・十月二十九日 茅部郡で鹿捕獲される。
 
    明治十六年十一月一日 函館新聞
    ○初鹿
   茅部郡近傍にてさる廿九日始めて鹿を一頭獵殺せしが其の相場ハ當地にて一頭の肉八圓なりといふ。
 
・十一月五日 樽前山噴火
 この時最初恵山が噴火したものと考えられたり、登別岳が噴火したものだろうかなどと思われていた。当時の新聞はこの時の様子を次のように記している。
 
    明治十六年十一月八日 函館新聞
     ○灰降る
    一昨日根室より入港したる矯龍丸がさる五日恵山沖之通航の際灰が降り來りて甲板上に二三分ほど降積りし由右ハ全く恵山の火口より噴出せるならんといふ。
 
    明治十六年十一月十二日 函館新聞
     ○噴火
   さる五日午前十一時ごろ尾札部村より臼尻村へ通行の際膽振國登別岳(果して同山なるや否知らざれども村民の云う處に依る)より甚だしく噴烟し堆積雲状を爲して天を衝き其の勢ひ尋常にあらず因りて村民に尋ぬるに村民等も常に見ざる處にして今より十二三年前正月中該山より噴火せし時恰も今日の如く見えたれば此たびも同じく山抜けなるべしと語れり然し未だ孰れとも確知するに山無けれども實に非常の景状にてありきと該地通行の人より報知ありしが先きに根室より入港の矯龍丸が同日恵山沖通航の際甲板上に灰の降りしも全く此のためなるべし。
 
・十一月三十日 椴法華村水産物収税品を引渡す。
 江戸時代中頃より蝦夷地の漁民は水産物の現物を税として納入する制度があり、明治新政府下でも北海道ではこの方法が踏襲され、水産税(物産税)として現物の一-二割を納入していた。
 漁民より税として納入された水産物は、村役人によって村にある収税庫に保管され、函館県租税課(明治十五年より、それ以前は開拓使)によって函館で入札が行われ、落札した海産商は村々の収税庫から輸送し販売するという手順がとられていた。
 この方法は明治二十年の北海道水産税則の公布まで実施されたが、収獲検査・収納運送等は漁民の負担を増し、官側でも収税と販売のために種々の手数と費用をかけねばならず、両者にとって過重な負担となっていたものであった。次に当時の新聞から『税品拂下廣告』を記すことにする。
 
    明治十六年十一月十二日 函館新聞
     税品拂下廣告
   第十二號
  當縣下渡島國亀田郡外二郡膽振國山越郡明治十六年分収税品左記ノ通函館ニ於テ拂下本月廿二日午前十時本縣租税課ニ於テ開札可致候條望ノ者ハ各郡区役所及戸長役場各郡税庫處租税課出張員ニ就キ拂下手續書熟見來ル廿一日本縣租税課ヘ入札差出スベシ此旨廣告候也
    明治十六年一月     函館県
   (椴法華村分のみ他は省略)
品目    數量    藏所       引渡期限
鰯〆粕   三拾五石     渡島國亀田
鹽鮭    四斗貮升   } 郡椴法華村 明治十六年
元揃昆布  拾五石六斗貳升  借上庫收納 十一月卅日
汐干昆布  九斗六升
 
・この年十二月 椴法華村鱈不漁
・この年、ブラキストン、『ブラキストン・ライン』の構想を発表、北海道と本州間に動物の棲息分布上一線を画すべきことを主張する。
・明治十六年の椴法華
『明治十六年戸口及諸物品調査第一 兵事課』(北海道蔵)によれば、明治十六年の椴法華村の状況について次のように記されている。
 
    明治十六年一月一日現在
     人口及戸數其他諸物品調書
      函館縣亀田郡椴法華村戸長役場
  一、人口六百拾人 内 男 三百廿三人 女 二百八十七人
    戸數 九拾八戸 畳 五百九拾五畳ナリ
  一、米麦收入無之  米輸入高 四百六十四石八斗 大豆收入高 凡拾石余輸出無之
  一、精米精麦ノ賣買無之 玄米壱石 價金六円五拾銭
    大小豆壱石 價金八円ナリ
  一、清酒製造無之  仝輸入高凡百七拾九石壱舛 價金三拾貳銭
  一、醬油製造無之  仝輸入高凡六石壱舛 價金三拾貳銭
  一、味噌製造無之  仝輸入高壱千貳百八拾貫目 壱貫目 價金廿五銭
  一、漬物類ハ自家供用ノミニテ輸出無之
  一、魚類収入高ノ内年中輸出スルモノハ生鮭八石五斗、塩鰤三百石、生鱈六石五斗、乾大口魚百五拾石、干 四拾石等也。
  一、海草ハ昆布凡貳百四拾五石、布苔凡五拾石輸出
  一、野菜類ハ寡(か)ク輸出入無之
  一、秣及藁等賣買無之啻各家畜馬ノ供用ニ充ルノミナリ
  一、薪炭等輸出入無之各自家供用ニ充ルノミ代價ハ薪壱敷金二円、炭壱俵金貳拾五銭但壱〆目ニ付金二銭五リン位ナリ
  一、竹無之、樹木ハ可ナリ
  一、人力車及荷車等無之
  一、磯船六拾五艘、持符船ハ拾艘、筒船五艘、合計百四拾艘
  一、筆墨紙木綿類製造無之
  一、駄馬數四拾七頭 壱里賃金拾五銭
  一、蒸気水車米搗所等無之
  一、人夫數無之
  一、馬車無之
  一、旅篭料壱日分三飯ニテ上等金三五銭中等三銭下等金廿五銭
  一、屠牛及官有倉庫並民有貸倉庫等無之
  一、隣驛品物運送ノ景況、東西ニ通スルノ路ハ山道嶮悪ニシテ道路品物運送不便ナリ
      以上
   右ノ通調査候処相違無之候也
     函館縣亀田郡椴法華
   明治十六年六月 戸長 成田源之丞印
 
  明治十六年函館県統計書
  漁業者ノ戸数及人員
   戸数        九十五戸
   人口     男    百人
          女   六十人
          計  百六十人
   舟      サンパ舟    四
          持符舟   二十五
          磯舟    六十五
          合計    九十四
   漁網     引網      九
          建網      二
          差網    三十五
          雑網     十五
          合計    六十一