海底に噴き出した溶岩やその破片が大量に積み重なると、海底に火山が形成される。活発な火山活動が続いて山体が急激に成長すると、おもに山頂に近い急傾斜の部分では、バランスを失った山体の表層が、しばしば崖崩れや地滑りを大規模にしたような崩壊を繰り返し起こすことがある。また噴火の衝撃で火口付近の山体が吹き飛んだり、崩れたりすることもある。このような火山活動に伴う斜面崩壊の現象は山体崩壊と呼ばれている。このような火山の成長過程でしばしば起こる海底火山の崩壊の様子は、この時期の地層が分布する各地でよくみられる。相馬安山岩類をはじめとして、深浦町艫作(へなし)崎付近に広く分布する凝灰角礫岩や、深浦町不老不死温泉の海岸に露出するゴツゴツした岩石はすべてそうしてできたものである。
このようにして、中期中新世には山体崩壊を繰り返しながら噴火活動が断続的に続き、溶岩や凝灰岩、凝灰角礫岩からなるマグマからの産物が、開き始めたくぼ地(後に日本海となる)に膨大な量で集積した。
日本海が開裂する時の火山活動を記録した地層の中で最も古いものは、弘前市域では大和沢(おおわさわ)川上流部の最上流部にあたる秋田県との県境付近に、藤倉川(ふじくらがわ)層と呼ばれている地層として、ごく狭く分布しているに過ぎない。しかし、その西方の相馬村や西目屋村の秋田県境よりの地域には、藤倉川層の他に大戸瀬(おおどせ)層や黒石沢(くろいしざわ)層などと命名された、同じような性質の地層が広く分布する。当時のマグマに由来する火山岩質の地層の厚さと分布の広がりは、火山活動の産物としてもたらされた岩木山や八甲田山の山体の大きさや火山灰層とは比較ができないほど膨大な量であったことがわかる。奥羽山脈を二列か三列並べた規模の火山活動域があったと想像されている。それより少し後の時期に堆積したものは、湯口山(ゆぐちやま)層や砂子瀬(すなこせ)層、田野沢(たのさわ)層で、挧内川や岩木川の上流部でみることができる。これらの地層は、溶岩の部分は硬くて風化しにくいものの、凝灰岩質の部分は風化や浸食に弱く、崩れやすい崖や滑りやすい沢床をつくったりしていることが多い。
陸上やごく浅い海底のあちらこちらでは、安山岩質のマグマが盛んに噴き出していた。大きな湖や海などのような水底で火山の活動が起きて溶岩が流れ出すと、陸上ではみられない独特の噴火現象が起こると考えられている。