弘前市内で最も奥まったところである大和沢川の上流部は、久渡寺山や毛無山(けなしやま)に挟まれて、深い谷川が長く続いている。大和沢川の源頭(げんとう)である西股(にしまた)山(九五四メートル)から西へ延びる一〇〇〇メートルに近い尾根は、大鰐町や秋田県との境をなしている。西股山を中心とした大和沢川の上流部から稲刈沢の上流部に続く、険しい山地をつくっている硬い岩石は、弘前地域では最も古い地質時代に属する地層である。かつては、そのような地層は、いつごろにできたのか確実な年代はわからないものの、中生代に堆積した地層と考えられて中生層と呼ばれたり、少なくとも弘前市域とその周辺地域で時代のわかっている古い地層(第三紀層)よりもさらに古いので、基盤岩と総称されたり、一括して先第三系と呼ばれていた。こうした古い地層をつくるチャートや泥岩、砂岩、緑色岩などの岩石は、第三紀よりも古い時代にできたことは明らかであったが、変形が激しく、かつ時代をさし示す化石が思うようにみつからないために、一般には先第三系や先新第三系の用語が総称としてよく使われていた。
最近では岩相分布が明らかとなり、岩相の違いに基づいて三ッ目内川層や西股山層、大和沢川(やまとざわがわ)層などの層名が提案されている(箕浦、一九八九)。しかし今日の地球科学的常識では、右のような先第三系の変形した地層は、海洋プレートの沈み込みに伴って海溝の陸側斜面に形成された付加体堆積物で、変形した堆積物がくさび形の集積体を構成していたというのが正しい。そしてこのような地層群は正常に積み重なった地層が何々層と呼ばれるのに対し、何々コンプレックスと呼ばれる。今後これらの地層は、弘前南部コンプレックスとか西股山コンプレックスなどと命名されることになろう。では実際に海洋プレートで運ばれてきた地層、つまり弘前地域の最南部にみられる付加体の地層がどのようなものか、市街地の南の座頭石(ざとういし)で観察してみよう。