原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物

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原エミシ文化の時代には、古墳文化の特徴的祭祀遺物である剣形(つるぎがた)品あるいは有孔円板品といった石製模造品の出土が知られている。また、天間林村森ケ沢遺跡では、続縄文文化系の墓壙に、古墳文化系の遺物を主体としながらも、続縄文文化系の黒曜石小破片が副葬されていた。黒曜石片は、北海道東部から宮城県北部までの北大式の分布域の複数の産地から持ち込まれたものであるという。この時代の類例は決して多くはないが、全般的には古墳文化系の祭祀遺物が主体といえそうである。しかしながら、精神的側面まで古墳文化の影響を受けていた可能性は小さく、おそらく家父長クラスの有力者の存在を示唆するものと考えておいた方がよさそうである。
 エミシ文化の時代には、群集墳以外に祭祀にかかわる遺構は知られていない。墳墓の副葬品は、岩手県の例になるが、北上市岩崎台地墳墓群からは土師器甕(かめ)・壺、直刀・刀子(とうす)・鏃(ぞく)などの鉄製品とともに黒曜石製ラウンドスクレイパー(円形削器)や多数の剥片(はくへん)が出土している。青森県内の群集墳は、古墳文化系の副葬品で占められているが、前代の墳墓の副葬品構成を引き継いだ岩崎台地墳墓群の例から類推すると、古墳祭祀までそのまま受容したと安易に考えることはできない。むしろ、前代の精神性を引き継いでいると考えた方がよいであろう。