三 貞享検地と地方支配機構の確立

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 津軽弘前藩は、貞享元年(一六八四)から貞享総検地に着手するとともに、知行制度をそれまでの地方知行(じかたちぎょう)制から俸禄(ほうろく)制に、また、天和三年(一六八三)には、一六からなっていたという行政単位を二五の組に、さらに、雑多な現物納と過重な夫役を特徴とした年貢・諸役の体系を、米納を主とするものに改めた。こうした変化は、武田源左衛門藩主信政によって引き立てられた出頭人と呼ばれるグループに主導されたものであった(『五所川原市史』通史編)。