蝦夷地警衛が藩財政に残したもの

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さきにも簡単に述べたが、蝦夷地警衛が藩財政に与えた影響は深刻なものがあった。このような藩財政への影響は、以後の藩政に多大の影響を与える一因となった。
 文政五年段階での藩の借財は約九万二〇〇〇両に達していた。この解消策の一環として、藩では同年九月、翌年からのすべての面にわたる厳しい節約方針を打ち出した。そして、その一環として津軽家と交際のあった諸家に対し、今後のつきあいについて通告した。まず、重要な吉凶の場合でも使者が口上を申し述べるだけで進物は一切なし、したがって諸家からの進物も辞退し返却すること、また諸々の際に使者を派してきた家に対しては今後書状のみを送ること、藩主江戸を発駕する際の餞別のやりとりも行わず、年始・五節句・暑寒の見舞いは年始の書状のみ、藩主を招待する際もひととおりの招きの場合は断るというものであった。
 江戸において繰り広げられる幕府要人・他大名・旗本寺社などとの交際は、必要欠くべからざるものであったが、それを断たざるをえないところまで津軽弘前藩の財政が追い込まれていたのである。