江戸での買い物

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津軽弘前藩士小山氏が、慶応二年(一八六六)五月に弘前を出発、江戸へ登って江戸藩邸に勤務し、翌三年三月に弘前へ帰るまでの費を詳細に記した小遣帳(こづかいちょう)(史料名「旅籠帳」)が残されている(資料近世2No.二〇三)。この中から江戸滞在期間の慶応二年六月五日~翌年二月十一日までに、江戸で購入した品物と支払いの費を記したものの中で、記帳の頻度の多いものを中心にみていくと、江戸での生活はおおよそ左記のようになろう。

図113.旅籠帳

(1)衣――五郎福(ごろふく)(呉絽服)をはじめとして生地の購入が多い。そのほか仕立賃・洗濯賃・染賃などが挙げられ、服装について意が注がれている。
(2)食――副食物であろうか、餅・芋・豆が圧倒的に多く、そのほか調味料として柚子(ゆず)・醤(ひしお)・味噌・砂糖などがみえる。蜜柑・鰹の煮付け・鰻飯(うなぎめし)などが記されているのは、国元ではめったに食べられなかったからであろうか。
(3)勤務に関する品物と思われるもの――半紙・半切(はんきれ)(紙)・筆・墨が多く、筆記具代に出費が多い。
(4)娯楽――小山氏は上屋敷の長屋に居住し、勤務のとき以外は長屋での単調な生活を余儀なくされるわけだが、非番の時は江戸の名所巡りなどが娯楽の一つであったようであり(資料近世2No.二〇三の解説)、浅草に出かける回数が多く、浅草寺(せんそうじ)を中心に付近の浅草(あさくさ)神社・伝法院(でんぽういん)などを見物して楽しんだものであろう。さらに両国(りょうごく)・亀戸(かめいど)、もっと足を延ばして目黒(めぐろ)・品川(しながわ)方面へも見物に出かけている。
(5)その他――銭湯代は江戸滞在八ヵ月で一〇〇回以上払っているので、一ヵ月平均一三回ほど銭湯へ行ったことになる。髪結いにも支払い回数が多いのは、衣服のほか身だしなみにも気を遣っていたことになろう。万金丹・熊胆丸などの薬も多く購入している。手紙を出している回数も多く、また「長屋払」と記されているので、上屋敷の長屋の借家賃を払っていることが知られよう。これらのほかに、日常の生活に必要と思われる品物がたくさんみられ、購入した品物から小山氏の長屋暮らしの様子が彷彿としてくるのである。
(6)みやげ――国元に帰るため慶応三年二月十三日に江戸を出発しているが、その五、六日前の二月七日に次のような品物を購入している。( )内にある数字に単位の記述がないのは、史料上から個数か本数か不明なためである。白粉(おしろい)(11)・歯黒筆(はぐろふで)(6)・庖丁(2丁)・トシヤホン(1、石けんか)・丁字(ちょうじ)油(1、化粧か刀剣か)・笄(こうがい)(8本)、八日には扇子(せんす)(2本)、九日になって一〇〇文の歯黒筆(七日には歯黒筆六本を買って八八文である)を購入した。これらは江戸から国元へのみやげであったと考えられる。