稽古館は藩の規模の割には広範囲にわたる教科目を用意した。すなわち、経学・兵学・紀伝学・天文暦学・数学・書学・法学・武芸・医学・雅楽である。後に時代の要請に応じるべく、安政六年(一八五九)、蘭学堂が付設され蘭学が加えられるが、その時にはすでに学校が稽古館城内三の丸に移され、学校というよりは「学問所」と呼ぶにふさわしい規模に縮小されていた。必修科目として経学と書学とが全生徒に課され、規定の年齢に達した者に限り、志望により一科目若しくは数科目を兼修することが許された。また入学後、規定の年数が経った時点での兵学の学習が義務づけられた。
経学に関していえば、教科書には当初は「孝経」(孔安国(こうあんこく)伝)、「論語」(太宰純古訓)、「詩経」、「尚書」(孔安国伝)、「三礼」(「周礼」、「儀礼」、「礼記」鄭玄(じょうげん)註)、周易(王弼(おうひつ)註)が用いられた。「大学」、「孟子」、「中庸」が注意深く避けられ採用されていない点は極めて注目すべきことである。というのも、それは、朱子学が尊重するそれらの経典の価値を認めない、徂徠学の教育方針が貫かれていることを意味するからである。四書中心ではなく、六経を基本にカリキュラムが構成されており、「論語」にしても朱子の新注でなく、太宰春台の「論語古訓」が採られていることがその事を何よりも明確に物語っている(資料近世2No.二九七)。そしてまた、雅楽を教科のなかに組み入れている点も注目に値する。人間の心を外から方向付けるものとして、「礼」とともに「楽」を重んじた徂徠の礼楽思想の影響がここにもうかがわれる。創設当初の稽古館におけるこうした徂徠学的痕跡は、徂徠学を信奉した津軽永孚の意向が反映されたことによる。