養老礼

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最初の釈奠に次いで数日後の、寛政九年三月三日に、養老の礼式が盛大に行われた。この時も藩主は臨席し、自ら儀礼にのっとって招請された高齢者に膳を饗し、老を賀(が)し労(いたわ)った。招請者は無役隠居の身で六十歳以上、徳行の高い者であった。歯徳ともに高い者一人を「三老」と称し、これに次ぐ者を「五更」と呼んだ。また長以上、月並以上の家格で該当する者をそれぞれ「国老」と「庶老」と称した。この時は「三老」が堀蓮水(御家老隠居 八十余歳 病欠)、「五更」は山野十右衛門(御馬廻組頭 七十余歳)、「国老長」は吉村場左衛門(八十歳)、高島半左衛門、山崎図書(学校小司 六十五歳 病欠)、「国老」は館山随鴎(八十二歳)、木立要左衛門(御城付物頭 七十二歳)、石山喜兵衛成田文左衛門三橋次左衛門、「庶老」は菊池寛司他一九人であった(「封内事実秘苑」)。式典の当日、領内の九十歳以上の男子には終身二人扶持が、九十歳以上の女子と八十歳以上の男子には銭一貫匁が恩賜された。弘前町奉行の調べで、九十歳以上はなく、八十歳以上が八人該当者として挙げられている。