享保十三年(一七二八)には諸堂建立のため領内托鉢修行の願いが出され、同十七年に藩から蔵米渡しで俵子五〇俵の寄進があった。寛保三年(一七四三)には、油川村(現青森市)に布教の拠点として大円寺から満海庵を譲り受けた。文化九年(一八一二)からは富籤(とみくじ)の発行が藩から認められ、諸堂の再建、弟子の修学の費用に充てたという(山上笙介『津軽の富籤』一九七八年 津軽書房刊)。
大正四年(一九一五)から旧制弘前中学校校地の拡張が、慈雲院の境内全部と報恩寺の一部に及んだため、慈雲院は薬師寺(現黒石市)と合併することになり、本尊の釈迦三尊等を移した。
図220.絵図に描かれた慈雲院