西国や坂東の三十三ヵ所観音霊場に倣って、津軽領内でも札所巡りが行われるようになったが、その始まりについてはわからない。寛政四年(一七九二)に藩より「御国三十三番」の巡礼に出るのは、十月より一月までとする布令が出ている。これは、領内三十三観音巡礼へ出かけるといって、そのまま伊勢へ抜参りする者もいて、耕作に支障があるので二月から九月まで禁止した(同前No.四五八)。
図247.山観普門院 三十三番札所
「津軽俗説選」では、一巡すると九四里四丁(約三七六・四キロメートル)で、その功徳は五逆消滅・即身成仏にあり、西国よりもこの地での巡礼は自堕落(じだらく)な者にとっては仕合わせであるとしている。このうち、久渡寺(現市内坂元、第一番札所)・十腰内(とこしない)(現市内十腰内 巖鬼山(がんきさん)神社、第五番札所)・入内(にゅうない)(現青森市入内 小金山(こがねやま)神社、第二十四番札所)の観音は一本の材木より三体を彫刻したもので、一日に三ヵ所巡りをすれば諸願成就するといわれた(資料近世2No.四四三)。