地方の政争激化

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本県の政友会派と進歩党派との政争は、選挙のときに最も露骨である。明治三十年代、中津軽郡千年村では山林の境界で隣村の石川村大沢と裁判沙汰を起こし、また、大和沢地内の官林七〇〇町歩を、藩政期の見継山の古文書を添えて民有に変更するように、農商務省に、村長古川一英と大和沢全村民代表相馬豊景(初代村長)が申請するなどで、政治意識が高かった。
 中津軽郡政友会派の根拠地だったが、進歩党が進出してきた。特に明治三十二年府県制が改正され、村会、郡会県会の議員選挙は直接選挙となったため、抗争は激しくなった。また、憲政党分裂に当たり、寺井純司憲政党に残り、高杉金作憲政本党に走ったため、中津軽郡の地盤は割れた。県内では、明治三十一年一月十一日、憲政党総務、前逓相末松謙澄の青森遊説のとき「人糞事件」が起き、また、三十二年には星亨の遊説で青森や黒石で流血事件が起きていた。明治三十四年四月二十五日の『東奥日報』は、「実弾に中(あた)り二名重傷」と千年村の政争を報道している。
既報の如く中郡千年村に於ける政友会派の勢力近頃大に失墜し、近く行はるべき村会議員半数改正選挙に於て進歩派の勝利に帰すべき形勢となるや、政友会派は暴力的手段に訴へ、勝を万一に制せんことを図り、諸方より無頼漢を集めて本月三日、大字大和沢字狼の森なる進歩党事務所を襲ひ、進歩派亦之れに応戦して双方十数名の負傷者を出だし、警官四名亦傷を負ふに至れること、当時の紙上に詳報する処ありしが、是よりして同村の大勢は益々進歩党派に傾きたると共に、政友会派愈々困迷の境遇に陥いり、憤懣やるに由なく、再び襲撃の協議を整へ、準備おさおさ怠りなしと聞きしが、狼の森の有権者中秋元某なる人に対し脅迫を以て自派の候補者に投票せしめんと計りたるにより、進歩党員数名は同人を保護するため時々其の居宅に集合せし所、彼等はこれを好機とし再昨二十二日午後九時頃に至り、総勢七十余名甲斐々々しく装いて、秋元方の口表に至り、乱石木片等を雨下し、勢い鋭く同人の居宅に闖入(ちんにゅう)せんと擬せり。

 そこで、進歩党側は、小栗山、松木平の同志を集め、路上で小競り合いをして進歩党側が秋元方へ入ろうとしたところを、政友会方が事務所から銃撃、小栗山の工藤元吉、松木平の中村卯之助ほか二人が負傷した。選挙は五月だった。このとき、村長古川一英政友会側に属し、自派から三人の候補者を立てた。選挙長の地位を利用して腹心を選挙係にし、投票用紙偽造を行った。警察と郡役所は係官を派遣して警戒したが、偽造投票用紙は混ぜ合わされ、投票者数より一五票多かった。古川村長は係員と協議して、正当な投票のうちから一五票を勝手に棄て、自派三人を当選者とした。これが告発され、村長と係は軽禁固二年六ヵ月、罰金二〇円に処せられた。