弘城政社の内紛と解散

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明治四十三年十二月二十日、弘城政社小山勝次郎派は、石郷岡代議士不在を見越して臨時総会を開き、左の決議をした。
 一、弘前市長候補は小山内鉄弥氏の再選を期す
 一、次期代議士候補は小山勝次郎氏に決定すること
 この決議は一方的な現職代議士下ろしとみられ、県政を国政の主流に変えようと考えていた竹内清明加藤宇兵衛国民党南郡分所の猛批判を浴びた。その文言に「統一なきの党は党として何らの価値なく」と弘城政社の存在意義すら疑問視する言句まであった。これに対し、小山派は、この決定は自由意思の発動で、同志も慎重に決定したことで、決定は「動かざること山の如くに候」と突っぱねた。
 石郷岡代議士一派は、明治四十四年一月、市政刷新を掲げて革新同志会を結成したため、弘城政社は分裂した。この混乱を見て、第三勢力の市政刷新会も誕生した。三派のメンバーは次のとおりである。
 ◇市政刷新会
伊東重 三上直吉 今泰爾 福田忠之進 福島寿助 一戸豊蔵 丸瀬正果 成田助 八木橋彰六郎 小野恒三郎 佐藤英司 木村静一 七戸隼人

 ◇革新同志会
石郷岡文吉 齋藤徹 猪股幸次郎 岩見篤三郎 野村音次郎 川村武次郎 近藤東助 藤田弥助 内山覚弥 久保初太郎 田辺富吉 桜庭秀輔 佐藤誠四郎 大高歳行

 ◇弘城政社
金沢万弥 桜庭又蔵 村谷勘右衛門 高木由吉 秋庭有穂 井上浩 宮川富三郎 古田昌三郎 竹内兼七 山中卯太郎 境峰太郎 高倉良蔵

 三月二十三日、市会で弘前市長選挙が行われた。革新同志会市政刷新会は、引退して東京にいた菊池九郎を立てたため、弘城政社小山内鉄弥は一四対一二で敗れ、この敗北によって弘城政社は解散した。
 五月三日の市会で、菊池九郎は次のような就任演説をした。
今回私ハ誤ッテ諸君ノ御推薦ニ預リ市長就任ノ裁可ヲ得タルハ感謝ニ堪ヘズ 御承知ノ通リ私ハ老体ニテ事務ノ経験ニ乏シク或ハ諸君ノ御望ニ副フコト能ハザルヤヲ思ヘバ実ニ恐懼(く)ニ堪ヘザルナリ 然レドモ市ノ現状ニ鑑ミ公人トシテ将タ市長トシテノ職務ハ政党政派ニ関係セズ極メテ公平ニ公私ノ分ヲ明ラカニシ誠意誠心将来ノ事務ニ尽瘁(すい)スル考ナリ 而シテ市政刷新ヲ計リ市ノ面目ヲ改メントスルニハ偏ニ諸君ノ監督ニ依ラザルベカラズ 当局者ニ於テモ市ノ与論傾キタルトキハ御忠告ナリ御警告ナリヲ下サレバ相当ノ処置ヲ取ル考ナリ鳥渡(ちょっと)御挨拶マデ一言ス