御真影下賜と教育勅語

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明治二十三年四月、弘前高等小学校御真影(ごしんえい)が下賜された。御真影とは天皇皇后両陛下のお写真のことである。御真影青森県庁において佐和正知事の手から相馬保之進弘前高等小学校長に手渡された。この日弘前市内六校の小学校生徒全員は、堅田村(現弘前市)に延々堵列(とれつ)して御真影を奉迎した。

写真102 御真影

 桐の箱に収められた御真影は相馬校長に恭しく捧持(ほうじ)され、菊池九郎弘前市長と警官に護衛されて粛々と進み、奉迎の生徒のみならず大人たちにも深い印象を与えた。
 高等小学校御真影が下賜されたのは「高等小学校ガ地方ノ模範タルベキ旨ヲ以テ」なされたという。このことが他の尋常小学校長に羨望の念を抱かせたものか、この後、各尋常小学校では競って御真影の下賜を宮内省に請願している。下賜を請願する際には、学校における奉蔵方法を添えることになっていて、それが不備だと下賜されなかった。弘前市内の尋常小学校五校に御真影が下賜されたのは二十五年十二月二十三日である。
「教育に関する勅語」は一般に教育勅語という。教育勅語は二十三年十月に渙発(かんぱつ)され、本県に頒布されたのは十一月十日である。佐和知事は諭告を発して、今後各学校は天長節、紀元節、新年開校式、学年始業式、卒業証書授与式及び学校設立記念日、その他毎月初日に教育勅語を奉読し、生徒をして勅語の意を「佩服(はいふく)スルコトアラシ」めるよう訓示した。

写真103 教育勅語(明治23年)

 教育勅語は市役所を経て、十一月十八日弘前市各小学校に交付された。交付式は市役所で挙行されたが、長尾義連市長は式辞を朗読、「聖上臣民ノ教育ニ軫念(しんねん)セラルルノ懇到至切ナル所以ヲ明示セリ苟モ教育ニ従事スル者誰カ感激シテ佩服セザルモノアランヤ」と校長たちの奮起を促した。
 各校長は市長から手渡された勅語謄本を奉戴して学校に帰り、直ちに全校生徒職員を集めて奉読式を挙行した。校長が勅語を奉読中、生徒職員は直立のまま頭を垂れ、終わって初めて頭を上げる礼法はこのときから始まった。
 さらに、文部省は、二十四年六月「小学校祝日大祭日儀式規程」を制定した。紀元節、天長節、神武天皇祭、元始祭、春秋の皇霊祭、神嘗祭など儀式の挙行方法を定めたのである。これらの祝祭日は明治維新後新しく定めたもので、元来が皇室における祝祭日だったものを、国民の祝祭日として定着させようと設けられたものである。この儀式規程の制定によって、学校はこれらの祝祭日には必ず儀式を挙行しなければならず、儀式には校長以下の教職員児童のほか、市町村吏員、父母、地域民重立(おもだち)の参加を求め、儀式順序まで決められていて、挙式を学校に義務づけたものである。
 御真影教育勅語、祝祭日儀式と続く一連の行為は、天皇中心の国民共同の感情と慣行を維持させることに大いに役立った。天皇制教育の体制化を図る政府の構想が確実に実ったといえるであろう。