青年訓練所の設置

667 ~ 668 / 689ページ
大正十五年(一九二六)四月、政府は青年訓練所令を公布したが、県は市町村を督励して青年訓練所の開設を急いだ。六月末までに設置を認可された青年訓練所は県内で二〇〇ヵ所を超え、七月一日をもって一斉に開所式を挙げた。弘前市では六月に市長の交代(石郷岡文吉から松下賢之進)があり、また郡役所の廃止(六月三十日)などのため青年訓練所の設置が遅れ、十月十二日に開所された。
 青年訓練所青年団分団と同じように市内の各小学校に併設の形で開所され、小学校長は青年訓練所の主事を命ぜられた。教科は軍事訓練のほか修身公民科、普通学科、職業科を課し、対象となる生徒は小学校卒業者、高等小学校卒業者で、修業年限は四年間とされた。主事に任ぜられた校長は、その運営を委任されたほか修身公民科を担当し、他の学科はその学校の教員が担当した。軍事教練学区内の在郷軍人が指導員として委嘱されて当たった。訓練所の生徒は青年団員を兼ねるのが普通であり、したがって、青年訓練所青年団の軍事化の性格を持つものとなった。

写真193 青年訓練所(昭和8年 堀越小)

 青年訓練所の目的は、勤労青少年に学校生徒と同じように軍事訓練を施し、立派な壮丁を養成することにあった。青年訓練所はやがて、青年学校へと発展して行く。