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(五)妙國寺

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 蘇鐵を以て聞こえてゐる、【所在】廣普山妙國寺は材木町東三丁一番地にある。周圍土塀を以て繞らし、【境域】西南二方に山門を附け、南方を表門としてゐる。境域東側八十一間一五寸、西側六十八間四五寸六分、南側七十一間二七寸、北側六十六間三九寸六分を有し、總坪數三千七百十坪九合六勺である。表門は

第百十八圖版 妙國寺境内實測圖

 
 
 瓦葺四脚境内南側中央にあつて門内右に舊愛泉女學校々舍、【栴明院】左に寺坊栴明院があり、北方本堂迄縱一文字に石の鋪道を敷いてゐる。鋪道を中心にして、【佛舍利塔】東側に佛舍利塔、手水屋形、開山供養塔、土佐十一士割腹址があり、西側には經藏、開山二百五十囘忌供養塔、三重塔がある。佛舍利塔は舊愛泉女學校々舍の西北隅にあつて土佐藩士十一人が明治元年堺事件に坐して割腹した址へ建てたもので、一時佛蘭西公使の抗議により取拂つたが、明治十五年再び認可を經て現在地に再設されたものである。【土佐十一士割腹址】土佐藩士の割腹した址へは一松樹を植ゑ、傍に高さ二四寸、臺石の高さ一二寸の記念碑を建て、碑面に「英士割腹跡」と刻してゐる。開山供養塔は日珖上人の爲めに建てたものである。【經藏】經藏は栴明院の西北隅にあつて二間四方の瓦葺寶珠型の建築である。【三重塔】三重塔は開山供養塔の西方に聳え、高さ九丈一層の周圍二間四方の規模である。【本堂外觀】本堂は此等諸營造物の北方に南面して建てられ、十二間四面を有し、【祖師堂外觀】更らに東に南面して桁行七間、梁行六間の祖師堂がある。續いて其東方に鐘樓、南方に泉池を穿つてゐる。【墓地】泉池の東南は、一帶の墓地で、開基檀那油屋一族、堺奉行仙石政寅、同黑川盛匡、同小菅正芳、與力伊藤家累代等の塋域がある。墓地附近より前記本堂の西方に向へば、【惠照院】寺坊惠照院が南面し、其西南に瓦葺四足の西門がある。又惠照院と本堂との中間を北上すれば土塀となり、【庫裏】其中央に拔かれた門は庫裏への通用門で、門内は庫裏の前庭となる。前庭の北には庫裏があり、【德正殿】東方には德正殿がある。庫裏は桁行九間、梁行七間を有し、德正殿は西面の桁行二間半、梁行三間餘、蘇鐵の精靈德正神を祀つてゐる。德正殿の前を通じた廊下を南すれば本堂の側面へ出る。【本堂内部】本堂は東西南の三方に廻緣を附し、間取は正面中央を須彌壇とし、左右に東西兩司、其前方に一般の拜禮場を設け、須彌壇は四隅に四天王、中央に寶塔、右に釋迦如來、左に多寶如來を安置し、更に一名上行菩薩、二名無邊行菩薩、三名淨行菩薩、四名安立菩薩を据ゑ、正面には宗祖日蓮上人の木像を安置し須彌壇の前面に祭壇を設け、上に天蓋を揭げてゐる。東司は開山日珖上人及び中山法華經寺開山日常上人の木像を安置し、西司は開基檀那三好、伊達の二氏及び德川將軍歷代の位牌を安置してゐる。本堂東側より渡廊下を通ずると祖師堂に至る。【祖師堂内部】祖師堂内部は中央宗祖日蓮、右に開山日珖、左に中山法華經寺開山日常の木像を安置してゐる。
 【蘇鐵の庭園】本堂の北裏に當り蘇鐵の名園がある。庭園は庫裏の東に建續いた客殿の東南二方の前面に設けたもので、東は土塀、西は德正殿並に板塀を以て境し、南は土塀を隔てゝ本堂及び祖師堂の背面に對し、北は客殿及び土塀に接した鍵形の境域である。其趣向は足利時代の面影を傳へ、蘇鐵を中心として施設されたものである。【客殿】此名園を前景とした客殿は桁行九間、梁行六間の南面の建物で、殿内は内陣と拜座とに分ち、内陣は更に東西中の三室とし、中を又三座に分ち、中央須彌壇には一塔兩尊、四菩薩、四天王を安置し、右方に油屋常言木像、織田信長寄進釋迦如來木像、傳光明皇后信仰佛たる釋迦如來木像、三好實休信仰佛たる釋迦如來木像を安置し、右方に傳兒島高德守護神たる辨財天十六童子木像並びに三好實休の木像を安置してゐる。其東西兩室に當る東西兩司には所傳の什寶を陳列して參詣者に拜觀させてゐる。