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十三場所と夏商

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 夏商とは、アイヌが狩猟・漁撈で得た産物、すなわち干や熊の毛皮、熊の胆、鷹の羽など、いわゆる軽物類との交易である。イシカリの場合、場所内をいくつかに区切ってその場所内に居住するアイヌとの交易権を藩士に与えていたことは前述した。元禄十三年(一七〇〇)の『支配所持名前帳』にみられる「鳥屋」もその古い形であったかもしれない。
 享保年代になると、場所名と一二人の知行主名が出揃ってくる次の記録がみられる。
 はつしやふ          酒井作之右衛門
 しやつほろ          小林 兵佐衛門
          目谷 佐仲
          高橋 嘉左衛門
 しのろ          南条 安右衛門
 つい石狩          松崎太次右衛門
 かばた          左藤加茂左衛門
          土屋 重右衛門
 いへちまた          松前 内記
 ゆふばり          松前 主水
          蠣崎 時右衛門
 嶋まつふ          下国 金左衛門
(松前西東在郷幷蝦夷地所附 享保十二年)

 これは、「商所支配」の知行主名と、「蝦夷之居所」とを書きあげたもので、知行主の交易相手であるアイヌが一定していたことを示したものであろう。しかも、この記録のつづきには、イシカリ川の「下川」より「はうかせ在所迄二日程」の距離があり、「御船商仕候節先年はてう間哥」まで松前の船がのぼっていたといった、興味ある事実に触れている。
 元文年代(一七三六~四〇)になると、十三場所内へも請負制の導入を示す、次のような記録もみえてくる。
、石狩大川也、秋生沢山(中略)同所夏干物積船参ル、夏場所志摩守様○(御家老)松前内記殿○(同)松前平次右衛門殿○其外家中佐藤権左衛門殿○下国金左衛門殿○(町奉行)南条安右衛門殿、松崎太次右衛門○(目谷万右衛門殿)酒井作之右衛門○(御用人)高橋嘉左衛門○(同)小林兵左衛門殿○蠣崎時右衛門殿○土谷弥七郎殿○出物干沢山、熊ノ皮・狐ノ皮・兔ノ皮川上之蝦夷共持参ル、浜辺之蝦夷数子・油等もアリ、五百石積より二百石積之船迨拾六艘右之川エ六月ニ参り七月ニ帰ル、運上金年々不同、内四艘分之運上金○志摩守様エ揚ル、石カリハ夏塩鱒船六百二艘一ケ年ニ舟一艘ニテ百両ツヽ上ル、

(蝦夷商賈聞書)


 以上の記録から次のことがいえるのではなかろうか。まず第一に夏場所の知行主が藩主以下一三人いて、のちに「イシカリ十三場所」といいならわされる初源的かたちがみられる。第二に、夏商の商品には、干、熊の皮、狐の皮、兔の皮、数の子、油の類があって、しかも「川上の蝦夷」と「浜辺の蝦夷」と出産物に違いがあるように記している。第三に、夏商にイシカリ川へ入る船は、五〇〇~二〇〇石積の船一六艘で、六月に来て七月に帰る。第四に、一六艘の船のうち、四艘分が藩主へ納める運上金で、あと一二艘が一二人の知行主の船で、運上金は年々異なっている。
 このように、元文年代には、イシカリ十三場所の知行主たちは、いずれも運上金を設定してのいわゆる夏商の請負形式をとっていた。しかも、同書によれば三カ年で一四〇〇両であった。