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ナイホとシノロ

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 ナイホは安政三年人別帳に、三軒一三人の記載がある。しかし、ナイホは武四郎によると、「其ナエホの土人と云は帳面計(ばかり)、一人も当所に住するもの無、今拾三人と志(し)るし有れども其内三人は死人也。実に棒(抱)腹に堪ざる事なりけるや」とあり、居住している者は一人もいなかった。武四郎は、「ナエホと云昔(むか)しの村跡有」と記し、すでに廃墟となっていた。
 シノロも人別帳には、九軒三八人の記載がある。『丁巳日誌』にはシノロの人別に関し特にふれられていない。おそらくナイホ同様に漁場・コタンは消滅し、廃墟と化していたのであろう。
 ナイホの乙名はニシトレン、小使はケセアマで、前者は上川チユクベツブト出身であった。ケセアマは出身は不明であるが、当時は家もなく元小屋の蔵で暮らしていたという。シノロの乙名インレシユは、安政四年春に死亡し、家はべツバラ(現妹背牛町)にあった。また小使イシヨランは当時浜に出ていたが、家はインレシユの隣でともにシノロの出身ではなかった。
 ナイホ、シノロの位置について『竹四郎廻浦日記』には、フシコサッポロ川(伏籠川)の川口より一里半ほどの所に二股(ふたまた)があり、左手の川がナイホ、右手の川がシノロと記している。ただし、この時武四郎は実際に足を運んではいない。
表-6 イシカリ(場所)の乙名小使
場所名 役名 安政3年 慶応1年
トクヒタ 惣乙名 サヒテアエノ
小使 イカシトシ、ハセア
脇乙名 タサウリ ニオウンテ
ハツシヤフ 乙名 コモンタ コモンタ
小使 リカンクル イソウクテ
下サツホロ 乙名 クウチンコレ クウチンコレ
小使 モリキツ
上サツホロ 乙名 シリコフツネ シリコフツネ
小使 モニヲマ サンナイ
上ツイシカリ 乙名 イクヲカアエノ イクウクアエノ
小使 イバンケ イハンケ
下ツイシカリ 乙名 ルヒヤンケ イコレキナ
小使 イカシトノト イカントノト
上カハタ 乙名 セツカウシ セツカウシ
小使 イエラムナ イソチユウ
下カハタ 乙名 テツカラン トミハセ
小使 トミハセ センラマ
上ユウハリ 乙名 サンケハロ アフンテコル
小使 シイレンカ ヤウタルコル
下ユウハリ 乙名 ユワコラム シリカンチユ
小使 シリカンチユ イツシテ
シママツフ 乙名 サケイタラ サケイタラ
小使 シトレンテ シトレンテ
シノロ 乙名 インレシユ イソラン
小使 イシヨラン イナヲカントリ
ナイホウ 乙名 ニシトレン イナヲサン
小使 ケセアマ ケセアマ
(安政3年―イシカリ場所人別帳、慶応1年―石狩土人惣人別取調書上帳より作成)