シノロも人別帳には、九軒三八人の記載がある。『丁巳日誌』にはシノロの人別に関し特にふれられていない。おそらくナイホ同様に漁場・コタンは消滅し、廃墟と化していたのであろう。
ナイホの乙名はニシトレン、小使はケセアマで、前者は上川チユクベツブト出身であった。ケセアマは出身は不明であるが、当時は家もなく元小屋の雇蔵で暮らしていたという。シノロの乙名インレシユは、安政四年春に死亡し、家はべツバラ(現妹背牛町)にあった。また小使イシヨランは当時浜に出ていたが、家はインレシユの隣でともにシノロの出身ではなかった。
ナイホ、シノロの位置について『竹四郎廻浦日記』には、フシコサッポロ川(伏籠川)の川口より一里半ほどの所に二股(ふたまた)があり、左手の川がナイホ、右手の川がシノロと記している。ただし、この時武四郎は実際に足を運んではいない。
表-6 イシカリ(場所)の乙名、小使表 |
場所名 | 役名 | 安政3年 | 慶応1年 |
トクヒタ | 惣乙名 | サヒテアエノ | ― |
ハツシヤフ | 乙名 | コモンタ | コモンタ |
下サツホロ | 乙名 | クウチンコレ | クウチンコレ |
上サツホロ | 乙名 | シリコフツネ | シリコフツネ |
上ツイシカリ | 乙名 | イクヲカアエノ | イクウクアエノ |
下ツイシカリ | 乙名 | ルヒヤンケ | イコレキナ |
上カハタ | 乙名 | セツカウシ | セツカウシ |
下カハタ | 乙名 | テツカラン | トミハセ |
上ユウハリ | 乙名 | サンケハロ | アフンテコル |
下ユウハリ | 乙名 | ユワコラム | シリカンチユ |
シママツフ | 乙名 | サケイタラ | サケイタラ |
シノロ | 乙名 | インレシユ | イソラン |
ナイホウ | 乙名 | ニシトレン | イナヲサン |
(安政3年―イシカリ場所人別帳、慶応1年―石狩土人惣人別取調書上帳より作成) |