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製網所

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 北海道は野生の麻、亜麻を産した。その繊維は強靱で、光沢は野州(栃木県)のものに劣らぬものもあった。また、河に海に本道は漁業が盛んであり、製品を売り捌ける可能性も大きいことから、麻種を貸与して麻を作らせた。そして、製網所を設けて網を製し、その売捌人を置いて漁業者の需要に応じた。開拓使では代価を三年賦完納としたら網を購入する者も多くなるはずだという見込みを持った。八年十一月製網所を南一条西三丁目旧女学校跡に設け、製網製麻教師として水沢県より男女四人を招き、修業者数人を募って伝習させた。十年には各種製網品を内国勧業博覧会に出品して褒賞を受けるまでに進歩した。その十月製網所並びに麻網囲場を新築した。
 十一年製造高が増加してきたため、新潟岩手両県からの移入が四、五年前に比べ、五割近く減じたとある。しかし十二年現在の調査ではまだ移入超過であった。製造高輸入高及び超過額は表10のとおりである。
表-10 製網所製造高輸入高及び超過額
種目網類網苧合計
丈尺代価目方丈尺代価代価
製造高31516丈48018567円699455貫3801423丈0501154円63219722円331
輸入高69669.10071621.48226345.75582330.50052317.106123938.588
輸入の製造に超過38152.62053053.78325890.37580907.45051162.474104216.257
開拓使事業報告』第3編(製造)より作成。

 十二年六月現在、製網従業者は製網所内で生産に従事する者男女二二人、札幌市街並びに周辺各村に二三八人、合計二六〇人、さらに冬期農閑期には五〇〇人を下らなかった。十三年六月の調査では、市街及び周辺各村あわせて六〇〇余人で、前年のほとんど二倍、冬期農閑期には一〇〇〇人余を下らないだろうと『開拓使事業報告』に記されている。十二年七月から十三年六月の一年間に製網教授人の派遣を求める村は、琴似、山鼻、当別、室蘭、余市の五村、資本貸付を請うのは紋鼈、室蘭、余市、当別、対雁の五村であった。そして十三年中に製網教授人の派遣を許可したのは山鼻、室蘭の二村、資本の貸与を許可したのは紋鼈、千舞鼈、幌別、室蘭の四村である。その貸与金額は一三九〇円であった。製網作業は近在農村の副業の一つともなってきていた。製網売捌の許可を受けたものは、厚田一、浜益一、石狩一、古宇一、檜山一、岩内二、高島三、小樽四の計一四人であった。売捌人は、現品を下げ渡すたびにその代価の二〇パーセントを超す不動産、または公債証書等を抵当とし、売捌手数料は売捌代価の八パーセントとなっていた。十五年一月現在の本場職夫の員数は、四等三人、五等四人、六等一人、七等三人、八等一人の計一二人であった。
 このような状況も十五、六、七年の不況下と不漁に加え越後、水沢などからの安価な移入ものにおされ、販路が一時閉止する状況にあった。その後製麻事業は二十年四月、永山盛繁らによって企図された北海道製麻会社に引き継がれていく。