副戸長の未設置の村では、平岸・円山村のように設置を求める声が強かった。発寒村でも七年十一月に総代笹布源吾が辞職し、副総代石塚市太郎のみとなった。市太郎は十二月に総代の任命を求めたが、おそらく人材が乏しかったのであろう、下手稲村副戸長管野格に発寒村事務取扱が七年十二月二十四日命ぜられた(開拓使公文録 道文六〇一三)。発寒村の副戸長代行である。管野格は九年二月に上手稲村の副戸長も兼務し(四月に辞任)、一時は三村の副戸長を兼ねた。雁来村は市中の戸長が代行しており、諸村に副戸長の配置・兼務がみられるようになったが、豊平村は当初副総代がおかれているものの、間もなく市中戸長の取扱に編入されたようである。