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札幌神社崇敬講の結成

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 前編七章で述べたように、円山村民を中心とした近傍住民は、札幌神社に対して地域の産土神的観念をもって、例祭にとどまらず奉仕を続けていた。この一つの成果として、明治二十四年二、三月頃、札幌神社崇敬講が結成され、次第に発展して講員二〇〇人以上に達したので、二十九年三月に規則を定めた。その前文は次のとおりであった。
氏神ヲ尊崇スルハ皇国古今ノ国粋ニシテ、大都広邑ヨリ十室ノ村里ニ至ルマテ、全国之ヲ祭ラサルハナシ。官幣中社札幌神社ハ恐クモ今上帝陛下ノ勅願ニ座マシ、本道ノ宗社、開拓ノ守護神トシテ祭セラル所ナリ、我輩ハ本道開拓ニ政府ノ御趣旨ヲ奉シ、遠ク郷里ヲ去リ本道ニ来住シ、既ニ村里ヲ成スヲ得タリ、奉仕ノ氏神ナカルヘカラス。然ルヲ今上皇帝陛下ノ勅願ニ座ス官幣中社ヲ以テ直ニ氏神トシテ之ヲ崇敬スル、豈幸福ノ至ナラスヤ。故ニ明治二十四年以降同志ヲ募リ、札幌神社崇敬講ナルモノヲ組織シ、有志者年々加ハリ今将ニ二百余名ニ及ヘリ。因テ茲ニ設ケテ、永遠此講ノ益盛大ニ至ラン事ヲ企望ス。有志者請フ賛成アレ。

 次いで規則本文は、名称、目的、組織に続いて、次のとおりとなっている。
 一般ノ講中ハ新嘗祭例祭祈年祭其他臨時ニ重キ祭典アル時ハ、万障ヲ置キ必ス参拝神事ヲ助ク。
 毎月朔望祭典ノ如キモ、農隙ノ日ハ勉メテ参拝シ畢テ後談話会ヲ開ク。
 年ノ十月ヲ以テ講中総集会ヲ催フシ講務ノ大相談会ヲ開キ、了テ更ニ講中大親睦会ヲ開ク。
 婚姻死葬アル時ハ、其組中ハ勿論隣講中相互ニ之ヲ助ク。

(札幌神社崇敬講組合名簿 北海道神宮)


 頭取として上田万平、副頭取藤森銀蔵(共に円山村)、さらに崇敬講世話方として三一人の名があり、講中として円山村九〇人、琴似村三七人、山鼻村二六人、桑園内一一人、上手稲村一二人、札幌区二〇人、豊平村一〇人の名が記せられている。